2007年12月アーカイブ

宝くじ研究家と名乗る人が,「ここの宝くじ売り場は当たりやすい」と,いくつかの売り場の名前を挙げていた.

これを聞いて信じた人がそこの売り場に殺到することで,そこの売り場でさばかれる宝くじの枚数が,他の売り場に比べて増えるだろう.それによって,他の売り場に比べて,そこの売り場から当たりが出る確率がわずかにあがるだろう.結果的に,宝くじ研究家のアドバイスは事後的に正しかったということなる.

ルーカス批判に話は似ているね.

考えてみれば,ルーカス批判に似たようなこの種類の話は,世の中たくさんありそうだ.ちょっとこれからは意識的にそういう話を探してみよう.

(参考)
ルーカス批判と余命宣告
こんな現象ってあり得るの?

僕のPCが,特定のある場所に持っていくと,必ず青いエラーメッセージ画面を吐き出す.なんか青い背景に,英語で長々と「深刻なエラーが発生しました」みたいな画面が出てきて,強制的に再起動させられる.そして再起動しても,やはりまた同じ青い背景に,英語で長々と「深刻なエラーが発生しました」みたいな画面が出てきて,強制的に再起動させられる.無限ループに入ってしまう.

こんな現象は他の場所では起こらない.もちろん,いままでも1年に1,2回くらいはこういう青い背景にエラーメッセージの画面が出てくることがあったけど,そのときは無限ループには入らず,一回再起動すれば元ももどっていた.

「その場所」に行くと,必ずこの現象が起こる.しかも無限ループで永遠に軌道できない.いまのところ,4回その場所で僕のPCを使おうとして,4回ともその現象が起きた.

しかも「その場所」には多くのPCがおいてあるけど,僕のPC以外はすべて正常に稼動している.使えなくなってしまうのは,僕のPCだけ.

僕のPCの基本スペックは,

IBM ThinkPad T41P 2373-KJ2 (2004年7月購入,使用して4年目) Window XP SP2

という感じなんだけど.

原因が分からない.
有名な経営学者の人なんだけど,経済学のPhDもとってるんだね.っていうか,すっげー経歴だな.

http://drfd.hbs.edu/fit/public/facultyInfo.do?facInfo=bio&facEmId=mporter

Harvardから,MBAとPhD in business economicsの二つの学位とるとは,すさまじい.

というわけで,ポーターの本を読むことに決定.いまの自分にまさにピッタリな本だと思う.原著でチャンレンジ!年内に読み終えることを目標にします.その代わりその他の日本語の本がよめなくなっても仕方ないということにしよう.
最近,論文では受動態の文章を使うのはよくないという実感がある.これは,英語で書いても日本語で書いても同じだと思う.さらに言えば,学術論文に限らず,一般に文章を書くときにこれを意識すると,ずいぶん文章がしまると私は感じている.なぜしまるかと言うと,筆者が自分の書いている文章に対して責任をちゃんと負っているという姿勢が伝わるからだろう.

自分が言いたいことを言うときに,「~と考えられる」と書いた場合,「ほら,みんなにも,そう考えられるよね?」という同意を暗黙のうちに求めているようで気分がよくない.自分の主張にちゃんと責任を持つべきで,「私はこうだと考える」と書くべき.「~と考えられる」と受動態にしてもOKな場面は,読み手のコンセンサスが明らかに得られる場合のみだ.例えば,「論文の盗作はよくないと考えられる」といった場合,全ての人がこの主張に同意するのが明らかなので,OK.

実際に「私には~と考えられる」と書いて何かを主張する場合,その目的は,相手に自分の考えを理解させることだ.相手が自分と同じ意見だと分かっている場合には,わざわざその主張をする必要はない.というか,それは「主張」ではなく,「確認」である.だから,「~と考えられる」という文章で自分の意見を主張することは出来ない.

英語で論文を書く場合,"I argue....(私は...と主張する)", "I assume....(私は...を仮定する)", "I conclude....(私は...と結論づける)", "I report....(私は...を報告する)"のように,受動態にせずに,自分の研究結果に対して責任をもつべき.

実際に英語論文書いてみると,受動態で"It is assumed that..."とか書いて,自分がそういう仮定を置いたことの責任逃れをしたい気持ちが出てきてしまう.

論文に限らず,一般に文章を書くときに「受動態をなるべくやめること」を意識すると,ずいぶん文章がしまる.なぜしまるかと言うと,主語が明らかになるので,筆者が自分の書いている文章に対して責任をちゃんと負っているという姿勢が伝わるからだろう.




去年から取り組んでいた論文を,某海外ジャーナルに初投稿してみました♪

Ogaki先生のジャーナル投稿戦略に関するアドバイスを考慮して,(僕にとっては)少し高めのジャーナルに投げてみました.まぁ,あんまり期待しないで審査の結果を待ってみよう.

院に入ったときに,修士課程にいるうちに業績を一つ出すことを目標にがんばろうと思った.最初は,どこでもいいから学術専門誌に載ればすごいと勝手に思っていたが,その後,学術専門誌にもいろいろランキングがあることを知って,少し高めの海外ジャーナルを目指すことにしました.というか,最近では大学の紀要の雑誌みたいなやつは,業績としてみなされないらしい.

修士のうちに業績に結びつけるところまではいきませんでしたが,すくなくとも学会報告とジャーナル投稿までやれて良かった.就職するから,完全に趣味でまったくプレッシャーを感じずに自由にこういうことが出来ている気がする.博士いく人は,「業績を出さないといけない」というプレッシャーがあるから,僕みたくのんびり出来ずに大変に違いない.実際,僕の同級生でこんど博士にあがる人で,すでに某海外ジャーナルに二回も投稿している人もいる.

これは某S先生のお言葉.

厚生経済学の基本定理は,現実の市場が万能だと言っているわけではない.
現実に興味がない理論家ばかりがいる慶應経済の代表格だと僕が思っていた先生が,現実の市場について言及したためびっくりしたわけです.

「厚生経済学の基本定理」とは,次の二つです.

厚生経済学の第一基本定理
:競争均衡はパレート最適である.
意味:企業が競争し個人が自分の満足度を追及した結果は,パレート基準で見たときに望ましい.
厚生経済学の第二基本定理:任意のパレート最適配分は,競争均衡として実現できる.
意味:パレート基準で見たときの望ましい状態の全ては,企業が競争し個人が自分の満足度を追及した結果として実現できる.

「パレート基準で見たときに望ましい」とは,「誰かの状態をより良くするためには,他の誰かの状態を悪化させないといけない」ような状態です.

厚生経済学の基本定理は,アダムスミスの「神の見えざる手」という考え方を,厳密に数学的に証明したものであり,経済学の主要な成果の一つです.

それにしても,この先生がこの言葉を述べたシーンはかなり鮮明に覚えています.それくらい衝撃でした.
日本の学者はどれくらい優れた論文を書いているのか?これを分析した研究報告書があった.科学技術政策研究所とかいうところが書いたらしい.

http://www.nistep.go.jp/achiev/ftx/jpn/rep100j/pdf/rep100j.pdf

引用回数が上位の重要論文のうち,日本人が書いた論文が何パーセントあるのかが明らかにされている.46ページの「図表31 コアペーパ全体における日本論文の比率」に,分野ごとの調査結果があるので,詳しく気になる人はそちらを.

さて,経済学の場合,何パーセントくらいだろう?日本の経済学のレベルが低いとは言え,中には世界的業績のある先生もいらっしゃるし,どれくらいかな~と思ってみたら...

答えは,0%です.ひどすぎる.

学者の仕事は教育と研究なのだが,この結果を見る限り,日本の経済学者は仕事の半分をまったくやっていない事になる.なんという恥.

結局,イチローとか松坂みたいな一流のプロ野球選手がメジャーリーグに行くのと同じで,国内のよく出来る院生はより刺激を求めてみんなアメリカのトップスクールにいくことに.結果,国内リーグはさらにレベルが下がる.

今年も福留,黒田あたりがメジャーに行くみたいだし.藤川球児や上原もいつメジャー行くかわからんし.


宇宙にはたくさん星があるのだから,どこかに知的生命体がいても良さそうである.中には科学的に高度に進歩し,宇宙旅行したりするやつらがいてもおかしくなさそうである.その中には,地球に立ち寄ってくれたり,メッセージを送ってくれたりするやつらがいてもぜんぜん不思議じゃない.

でも,まだ音沙汰はない.なんでだろう?いくつか仮説を思いつくが,それらは全て,次の三つに大きく分類できる.

(1)存在して,
    (1-1)実はもう来ている.
    (1-2)まだ来ていない.
(2)存在しない.

考えられる仮説を50個挙げ,この三つに分類して,それぞれの仮説について本書では吟味している.

まず,科学書として当然楽しめる.知的好奇心が非常に刺激される.宇宙人の展開する数学は,地球人の展開する数学と同じなのだろうか?という問いは,興味深い.数学は,人間がつくったわけではなく,真理として実在し,それを人間が発見してきただけ,というのが多くの数学者の考え方.この問いを立てるということは,数学は人間の創造物である,というタブー視される考え方に触れることになる.われわれの数学がわれわれの創造物ならば,そもそも宇宙人はわれわれと同じ数学ではなく,それに立脚されるわれわれの科学技術が展開されないので,宇宙旅行は宇宙人にとってそもそも不可能なのかもしれない.

それから,論理的思考のトレーニングとしても良い.フェルミ推定で検索すればいっぱい出てくると思うので,詳しくはそちらを見て欲しいのだが,地球外にいくつの知的生命体が存在するのか?これを計算する公式をたてて,大雑把な数字を入れれば,これは分かるはず,ってことを,フェルミというノーベル賞とった物理学者が考えたらしい.計算するとかなりたくさんの数になるはずなのに,いまだに地球人と接触がないので,これはおかしい,ということで,フェルミ・パラドックスと呼ばれている.フェルミの推定方法を,他のいろいろな局面で応用することが,フェルミ推定,と呼ばれているらしい.フェルミ推定を使えば,例えば,「日本にピアノの調律師は何人いますか?」なんて途方もない質問に,ざっくり答えられるようになる.フェルミ推定とは,ということが理解できる本.本書で取り上げられる仮説のいくつかは,「フェルミ推定の公式に入れる数字が,間違っているからだ」というものである(例えば,知的生命体が生まれる確率ってのは,あまりに小さいから,地球人以外に知的生命体がいないのだ,とか).

宇宙人に興味がある人と,フェルミ推定に興味がある人にオススメ.




昨日体重計のったら65kgもあった....ダイエットします.

やる気を出すために,体重の推移のグラフを書きます.青色が体重の推移.赤色が目標体重の58kgのライン.

http://graph.hatena.ne.jp/daniel1983/%E4%BD%93%E9%87%8D/

実は今年の2月くらいに体重のグラフ書いてたんだけど,それの続き.あれから10ヶ月たったが,その間に,グラフは急勾配で右肩上がり,体重が急上昇している!

健康になるために,適度にいい体作りにがんばります・・・・

Don't feed me.



もうドラフトはあるけど,そろそろ最終版をまとめないと.提出は1月16日16:45までらしい.

散々オイラー方程式をGMM推定しまくったが,なかなかうまくいかないってことを痛感した.でも失敗の原因をだいぶ深くさぐったので,そこに論文の価値があると主張しよう.

まぁ,けっきょくこの程度の修論しか書けなかったってことは,博士にあがってもどうせ将来はなかったかな,という感想を持っている.自己評価が下方バイアスを持っているような気もするが,どちらかというと僕はむかしから自信家なので,このくらい悲観的でちょうどよいんだろう.

実証分析では再現性が重要です.再現性とは,「ある論文を読んだ読者が,その論文と同じことをやれば,まったく同じ結果が得られること」です.再現ができない場合,都合の良い数字を捏造したと疑われても仕方がありません.

研究者は論文を書くとき,読者が自分とまったく同じ分析結果を再現するのに必要十分な情報は全て,論文で記述する義務があります.こういう情報が欠落した論文を書いた場合,筆者は猛省するべきです.僕は疑り深いので,「都合の良い結果だけ探してきて論文で報告しているんじゃないかな?」と思ってしまいます.そう読者に思われたら損なので,やはりちゃんと誠実に情報を書くべきです.

ところが,経済学の実証分析では,そういう情報が欠落していることが多々あります.非常に細かい話ですが,たとえばOLSでWhite修正した,といっても,White修正にはいくつかのバージョンがあります.ほんとうに細かい話ですが,どのバージョンをつかったのか明記しないといけません.メンドーだと思うかもしれませんが,書かないと読者が完璧に再現できないわけです.

また,シミュレーションや数値計算など,PCの性能などに依存する場合は,使った計量ソフトウェアとそのバージョンも明記するべきです.これをやらない人が残念ながらかなり多いです.Ogaki先生の話だと,同じソフトウェアでも,バージョンが変わると収束先が変わってしまったりすることがありえるそうです.細かく言えば,つかったPC環境も報告するべきなのかもしれませんね(Window XPでやった,とか).

僕が人から聞いた話だと,非線形GMMの推定をやるとき(この場合,数値計算が必要),TSP, STATA, LIMDEPは全て違う推定結果を返すそうです.さらに,EVIEWSだと,そもそもなぜか推定ができないらしいです.LIMDEPの計算結果がおかしいっぽい,というのは,僕の指導教授も言っていましたから,仮にLIMDEPが間違っているとしても,TSPとSTATAで推定結果が異なっているので,やっぱり計量ソフトウェアは信頼できません.高い価格を払っているんだから,ちゃんと作れ,とかなり怒りを覚えます(これらのソフトウェアは,だいたい1ライセンスで10万くらいするものです).

また,Ogaki先生に聞いたところ,ジャーナルに投稿したときレフェリーは,まず実証分析の結果の再現をしようとしないそうです.

こういう話を聞いて以来,どうも全ての実証分析がうさんくさく見えるようになってしまった・・・.みんな,ちゃんと自分のやった結果に責任もって,再現性があるような論文を目指しましょう.こんなんだから,計量経済学なんか信用ならん,って理論の先生に言われちゃうんだよな~.

再現性の点では,僕は自分の論文ではちゃんとやっているつもりです.全ての実証分析は,自分でプログラムを書いてやっているから,分析の中身がブラックボックスになっていない.というわけで,やっぱり,若い人はがんばってMatlab,Gauss,R,Oxあたりを覚えて,自分でしっかり分析できる力を養うべきだと思います.
Ogaki Masao先生の特別レクチャーを受けました.客員研究員として慶應にいらしているみたいです.このレベルの経済学者が慶應で講義されるのは滅多にないので,とても刺激を受けました.Ogaki先生のホームページを見れば,一流っぷりが分かります.

一流の経済学者とは,世界的に読まれる優れた研究論文が書ける人のことです.この点,世間での「一流の経済学者」のイメージは,間違っているかもしれません.この間違いについては,また別エントリーで書いてみようかと思います.AER, JPE, ECONOMETRICAという三つの雑誌が経済学におけるトップ3のジャーナルなんですが(自然科学の分野における,NatureとかScienceみたいなものです),Ogaki先生はなんと三つを全て制覇している・・・!

今日の内容は,(1)ジャーナルの投稿戦略について, (2)GMMの理論と応用例,の二つでした.GMMについては,たまたま自分の修士論文がGMMについてのものだったので,聞きたいことを質問したところ,良いコメントをいただけました.今日は収穫の多い日だった.でも修士論文の改訂でやることが増えた.

ところで,あんまりみんな質問しないのね.せっかくのチャンスなのに.うちの大学はミクロ計量やってる人が多いから,今日のところ詳しい人はいなかっただけなのかな.きっとそうだ.

論文をいま三つ抱えていて,ちょっと大変です...卒業前にやれるだけやって,できれば「研究業績のある一般人」にでもなってやろうかと.




優秀な社員を辞めさせない方法

この記事、注目を浴びている模様。ということは、ある程度、的を得ているということか。個人的にも、納得できるものばかり。特に、「12. 休暇をとるようにしつこく迫る」が大事かな~、と。自分自身も資源だという自覚をもち、オーバーワークは予防しないと、ストレスがたまり、結果的に全体がうまくいかなくなるにやあらむ。

ストレスの多い社会ですね。今年は、ストレスに負けて精神面で病気した人が多かった。安倍さん、朝青龍、亀田次男、比内地鶏の社長、など。

オーバーワーク、自信過剰、実力以上を出そうと四苦八苦すること、などは避けるべきですね。自分の力の範囲内で、のんびりしっかり生きてくのが一番良い。よく寝て、よく食べ、よく運動し、よく本を読み、よく学び、よく働き、でも決してやりすぎない、ってのが大事。

なんだか話が逸れてきましたが・・・。大学院にきて、世界的に有名な学者の論文を読んだりする中で、「俺にはこんな論文は一生かかってもかけない」と劣等感を感じることが多かったんだが、時頭の良さや独創性など、生まれ持った能力以上のものを出そうとすると苦しいだけで、上を見てもキリがないということが分かった。





ついに出ました,ベイズ統計学の入門書!

文章が多め,数式を少なめにして,非常に分かりやすく書かれています.序文に,中妻先生のベイズ統計学への思い入れが書いてあって,そこがおもしろいです.「古典的統計学では,データが同じ状況下で繰り返し得られるという前提にたった分析を行います.しかし,例えばバブル崩壊といった,一回限りの経済現象を分析するには,古典的統計学では無理があるのではないでしょうか?」といった趣旨の主張が書かれており,ベイズ統計学を信奉するにいたった,中妻先生の気持ちが汲み取れます.

計量経済学をやってる方は,少しでいいのでベイズもかじってみてはどうでしょう?「どうせ古典的統計学は無理があるから,ベイズを使っちゃおう」というベイジアンは,あまりに単純すぎると僕は思いますが,古典的統計学について深く考えるきっかけをあたえてくれると思います.

ベイズ統計学と古典的統計学の違いについては,また違うエントリーで僕の考えをまとめてみたいと思います.その際,計量経済学ではベイズは忌み嫌われるのに,ゲーム理論では受け入れられている理由にも言及してみたいと思います.
これはずっと昔、某O教授のお言葉。

頭のいい人にとっては全てのことが自明なんだよ。
定理の証明で、「自明」と書いてはいけないよ、という話の流れで出た言葉。ここで当然「頭のいい人」とは、論理的思考能力がきわめて高い人のことを言っている。

現実に多くの人はそんなに頭が良くないので、そういう頭が良くない人が読んだとしても、時間をかければちゃんと理解できるように、一歩一歩丁寧な証明を書きましょう、という教訓でした。

我々はみな頭が悪いので、見通しが悪く、いつまでたっても真理に到達できないでいる。でも仮に、「十分頭のいい人」というのがいたとして、その彼には全てのことが自明に見える。すると、彼にはどんな真理が見えているんだろう・・・。






三田キャンパスの東門から地下鉄三田駅にいく途中、自転車修理屋さんがある。あまり目立たないけどファミマの隣あたりにある。慶應の学生なら分かる人もいるんじゃないか。

で、ずっとあれを眺めながら登下校していて、あのお店で自転車の修理をしてもらっている一般客を見たことがほとんどない。一度もないかも。自分自身、自転車が壊れても修理店にいったことがない。

で、疑問。なんでつぶれないの?

某先生と話をしていて、なぜか分かった。きっと大口の固定客がいるんだ。郵便局とか新聞配達店とか、自転車を恒常的に使うお店はすべて、あの小さな自転車修理屋さんで請け負っているんじゃないか、と。別にそういう契約があるわけではないんだろうが。おそらく一つの自転車修理屋があったら、一定の半径Rキロの円の中には、他の自転車修理屋はないに違いない。郵便局とか新聞配達店とかの分布状況と自転車の壊れる頻度、一回あたりの修理料金など、いくつかを仮定すれば、「一定の半径Rキロ」を推定することが可能だろう。逆に、実地調査で「一定の半径Rキロ」がわかれば、逆算して自転車の壊れる頻度を推定することも可能だろう。というわけで、これはフェルミ推定の練習問題としておもしろそうですね。

仮に「一定の半径Rキロ」内に新規参入したとしても、あのお店が昔馴染みの店で、地元で顔の知られらた主人がやっていたら、固定客を奪うのは相当難しいんだろうな。きっとそういう絶妙な均衡が成立するように、「一定の半径Rキロ」が決まっているに違いない。

そしてどうせ修理するスペースが必要なのだから、常時お店を一般客向けにも開けておき、一般客が入ってきたらラッキー、という感じで営業しているんだろう。

今回のエントリーのタイトルは、以下の本のパクリです。

さおだけ屋はなぜ潰れないのか? 身近な疑問からはじめる会計学 (光文社新書)


うーん。これは完全に期待外れでした。以前読んだ数に強くなる (岩波新書 新赤版 1063)が面白かったので、同じ畑村洋太郎さんの本ということで、読んでみたんですが、残念です。正直、まったく薦められません。想定読者に僕が入っていないだけかな、とも一瞬思いましたが、誰が読んでもためになるとは思えません。

一応内容を紹介しておくと、「もう、数学大嫌いの典型的な文系人間」という人をターゲットにしているみたいで、完全に読み物です。数式はほとんど登場しません。「概念」だけ手短に紹介していっている感じで、「生徒の立場になった教え方をしないで、公式とかを教師が押し付けるから数学嫌いの文系人間がでてくるんだ」という主張がたびたび繰り返されます。

ですが、典型的な文系人間向けの数学の本としても、僕は薦められません。本書を読んでも、そういう文系人間が数学を好きになれるとは到底思えません。他にいい数学の啓蒙本を僕が知らないのですが、とにかく、この本はちょっと・・・。

正直、こんなものが岩波書店から出版されていることが、信じられません。

数学嫌いの文系人間への数学の啓蒙書を書くならば、優れた経済学者か物理学者あたりが、ある程度は数式を使い、でもそこまで厳密な議論はせず、「ほら、実際に数学って生活に役立つでしょ」と伝えられるような内容のもののほうが遥かによいと思います。誰か、そういう本かかないかなー。

上限金利規制を巡る論争。直感的には、「法外な金利を認めるなんてよくない!法律で規制すべき!」という意見が人の気持ちに強く訴えかける。が、経済学的には、「規制すると、非常に高いリスクのある借り手に資金が供給されなくなるから、金利規制はよくない」ということが言える。

さらにグレーゾーン金利がよくない経済学的な理由は、リスクの程度に適切に対応した金利で借り入れができなくなるから。上限金利を法律で規制することで、その上限に集中してしまうということ。(某教授の受け売り)。

週刊東洋経済で大竹文雄先生と池尾和人先生のお二人が議論しているのは知ってはいたが(おれは読んでない)、なんか、大竹先生のブログのコメント欄でかなり議論を戦わせている模様。

興味がある方は以下を参照。

http://ohtake.cocolog-nifty.com/ohtake/2006/10/post_f3e4.html





なんという速さ。やはり頭のデキが別格なのか。何の参考にもならんが。凡人が速読するには、

  • 「速読するぞ」という強い意思
  • 慣れ
  • 眼球運動のスムーズさ
  • めくる手の動き
などがが重要なのかな、と個人的には思う。

最近、読書速度が落ちてきているんだが・・・何回読んでも頭に入らない。もう脳味噌が劣化しているんでしょうか。

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