2007年2月アーカイブ
株安ニュースを見て,中身が完全に対立する二つのレポートをテキトーに書いてみる.
Bull(強気)の立場
今朝起きたら,ダウ平均が下げている,というニュースが飛び込んできた.その余波は日本にも来るだろうとみんな考えたはずだが,実際そのとおりになった.今日の日経平均の下落が,「みんなが思ったことは実現する」,という心理的要因に過ぎないのか,あるいは,実際にファンダメンタルが下げているのかは明白.前者に過ぎない.これは市場参加者の根拠なき弱気でしかない.根拠はないのだ.その証拠に,為替相場は,世界同時株安を受けて円高に動いた.これは米国と比べたときの相対的な日本の先行き期待感を示している.よって,この下げは一時的で,むしろいまこそ「買い」だ.すぐに回復する.
Bear(弱気)の立場
今朝起きたら,ダウ平均が下げている,というニュースが飛び込んできた.グローバリゼーションのご時世,世界中のマーケットは繋がっている.ダウ平均に続き,日経平均株価も連鎖的に下げた.ただしこれはきっかけでしかない.先日の日銀の利上げニュースおよび追加的利上げ観測がその本質である.これによって債券などの株式以外の証券の相対的な魅力が高まるだけでなく,企業の投資コスト増から来る景気先行き不安感から,潤沢な資金は株式市場から引き上げつつある.さらに日銀および安倍政権に対してその能力の欠如を不安視する声が高まることが予測されることから,この下げはしばらく続くものと思われ,いまこそ「売り」だ.
テキトーに書いたつもりだけど,それなりに説得的な気もするが,どうでしょう.ところで,今朝,テレビ東京でドイツ証券の武者さんが株安についてコメントしていた.強気の予想だった.今年の終わりには,日経平均は,2万2000円くらいいくって予想だった.ネットでこの人の評判を調べると,「この人は悲観論者」「この人の分析は当たらない」という感じの意見多数.悲観論者が強気ということは,今年は下げるのであろうか?
http://onimanju.cocolog-nifty.com/blog/2006/05/post_f52e.html
http://blog.livedoor.jp/ken122876/archives/50211571.html
http://live9.2ch.net/test/read.cgi/stock/1085824538/
http://www.asyura2.com/2002/hasan13/msg/485.html
で,実際に武者さんのコメントが書かれている記事がこれ.
http://www.nikkeibp.co.jp/style/life/money/savvy/061016_musha1/
もう少しくわしく解説しましょう。2000年代、世界経済を牽引(けんいん)する先進国企業は非常に恵まれた環境にあります。この環境をつくり出しているのが、低い労働コストとインターネット革命。インドや中国など新興国の台頭により、先進国企業は、優秀な労働力を安価で利用できるようになりました。これに加えてインターネットの普及が、労働コストと資本コストを抑えることに大きく寄与しています。生産性の向上に牽引された経済成長が世界的に持続している状態です。
経済先行き期待感の根拠を,部分的にではあれインターネット革命に帰するのは,慎重に考えたほうがよいと思う.インターネットの登場で,これまでには考えられ無かったくらい大幅に仕事の効率性があがって経済が成長する,という考え方は,なるほど尤もらしい.でも,本当かな?
これまで,人類はすごい発明はいっぱいあった.鉄道,自動車,電話,ファックスなどなど,あげればきりがない.いままでのこれらのすごい発明に比べて,インターネット革命がどの程度すごい発明かというと,いくらネットがすごいとは言え,「それほど突出したものではない」のではないだろうか.そうであれば,少なくとも,「過去に経験したことがないくらいの経済成長がインターネットによって可能,とは考えられない」というべきだと思う.
とは言え,ネットの進展と,経済成長を結び付けたいのは分かる.ネット大好きな僕も,結び付けたい.けど,実際にどの程度寄与しているのかは,慎重になったほうがいいと思う.
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『グーグル―Google 既存のビジネスを破壊する』を書いた佐々木俊尚さんが昨年末に出版した本.佐々木俊尚 ジャーナリストの視点 も面白い.
ウェブ2.0という言葉がタイトルに入っているが,ネットの今後の展開についての将来予測を偉そうに書いているわけではない.むしろ,これまでのパソコン・インターネットの歴史を解説した上で,今後のネットはどうなるのか自分も分からない,という率直な苦悩が綴られている.というより,ネットvsリアルの戦いがどういう展開になるか,この本に書かれている事実を踏まえてあなた自身が考えてみてね,という印象を持った.
尚,グーグルの話題はほとんど出てこないので,『グーグル―Google 既存のビジネスを破壊する』の続編という感じでもない.
佐々木さん自身,ネットvsリアルの戦いが今後どういう方向に進むのかわからない,という悩みが伝わってくる.たとえば,pp149には,
Winnyは、否定も肯定もできない存在になってしまっているのだ。
とある.悪く言えば自分の立場を決めかねてだけ,と考える人もいるだろう.でも,なんて素直なんだろうと感じた.古い人たちの論理に一理あるし,新しい人たちの論理にも一理ある.古い人たちってなんであんなに頭固いんだろう,と新しい人たちは思う.でも,新しい人たちも勢いだけで突っ走って深く考えてなかったりするから,どっちもどっち.
・・・とそんなことを書いている私は24歳で「新しい人たち」に属しているはずなんだが.要するに,新しい人たち(ネット支持派)は,「伝統というものはそれなりの理由があって伝統になっているのだ」という認識を強くするべきだし,古い人たち(リアル堅持派)は,「新しい人たちがやろうとする新しいことが歴史を動かす原動力になるのだ」という認識を強くするべきだと思った.
メモをいくつか.
・Advice for New Junior Faculty @Greg Mankiw's Blog
アメリカの大学でテニュア(終身雇用権)をとるためのアドバイスby Gregory Mankiw(まだ僕には関係ない話かもしれないが).こうしなさい,と色々とアドバイスを列挙しつつ最後に
Remember that you got into academics in part for the intellectual freedom it allows. So pursue your passions. Do not be too strategic. Be wary of advice from old fogies like me.
世の中は世知辛い.最初は「知的好奇心を満たすのが楽しくって仕方が無い」という理由で,情熱をもってacademic researcherという専門職業を目指していたのに,そのうち「テニュアをとること」が目標になっていったりするから気をつけよ,ということか.
ちなみに,
Avoid activities that will distract you from research. Whatever you do, do not start a blog. That will only establish your lack of seriousness as a scholar.
というアドバイスもあるんだが・・・.まぁ気にしない.
・http://www.economics.harvard.edu/faculty/mankiw/papers/My_Rules_of_Thumb.pdf
Mankiwが研究者として仕事をするときに重視している「自分ルール」について書いている.その中で,「共同研究」がなぜ大事か書いている.
Why are co-authors so important for the way I work? One reason is found in Adam Smith's famous story of the pin factory. Smith observed that the pin factory was so productive because it allowed workers to specialize. Research is no different--it is just another form of production. Doing research takes various skills: identifying questions, developing models, providing theorems, finding data, expositing results. Because few economists excel at all these tasks, collaborating authors can together do things that each author could not do as easily on his own. In manufacturing knowledge, as in manufacturing pins, specialization raises productivity. (The puzzle is why Adam Smith chose to ignore his own analysis and write The Wealth of Nations without the benefit of a co-author.)
The second reason I work with co-authors is that it makes my job less solitary. Research and writing can be a lonely activity. It is easy to spend endless hours with a pad and pencil or in front of a computer without human contact. Some people may like that kind of work, but not me. Arguing with my co-authors makes my day more fun.
The third reason I work with co-authors is the most important: a good co-author improves you forever. In the most successful collaborations, both co-authors learn from the experience. A co-author can help you expand your knowledge, improve your skills, and expose your biases. Even after the collaboration is over, you take these benefits with you to future projects. To a large extent, as I have grown older, my co-authors have become my mentors.
要するに,一つの脳で生産可能な量はたかが知れている,ということ.
もう出版されていたのか.考えてみれば,これまで日本語で計量経済学の辞書的なものは無かった.
Google Related LinksというGoogleの新しいサービスを試験運転してみる.左のサイドバーに,Google Related Linksのコンテンツを追加してみた.
サービスの内容の紹介は,こんな風に書かれている.
Google Related Links use the power of Google to automatically bring fresh, dynamic and interesting content links to any website. Webmasters can place these units on their site to provide visitors with links to useful information related to the site's content, including relevant videos, news, searches, and pages.
要するに,そのウェブサイトに関連するリンク(ビデオ,ニュース,検索用語,ウェブサイト)を,自動的に更新していってくれるサービスらしい.設置はすごくカンタン.ソースをコピペするだけ.
例えば,「だにえるblog」の場合,経済,金融,ITあたりの話題が多いので,ここらへんに関連するリンクが自動生成される模様.注目したいのは,「video」だ.洪水のような大量の情報を整理しまくるのがGoogleの使命だが,動画という情報の整理はかなり難しいだろう.この辺をGoogle神がどのように克服するのか,楽しみだ.
とりあえず,「だにえるblog」に設置したGoogle Related Linksが最初にリンクしてれたVideoは,「北の自然と野生 ヒグマの冬眠明け」だった・・・.やはり動画を整理するのは至難の業のようだ・・・.
まだGoogle Labsの段階なので,文字化けするなど,不備もある.Google Labsについては,以下を参照.Google Labs とは何?
512M(256M+256M)→1.25G(1G+256M)へ増設.
すいぶん快適になった.これで一度に扱える計算量もアップ.2G(1G+1G)にするかどうかは,今後の研究の展開次第.
いざとなれば大学の高性能コンピュータ(Linux,64bit)を使おうか.32bitマシンだと限界があるし.その意味で,Vistaを買う意味あるかな?うーん.
計量経済学の場合,「計算量で勝負」という局面を迎えることがある.大雑把に言って,「(データ+コンピュータの計算力)×分析者の能力=論文の質」みたいな側面がある.
自分だけが独占的に入手可能なデータはあんまりないし,自分の能力はある程度までは努力に依存するが,それ以降はセンス,ということになると,論文の質を高めるためにいじれる変数は「コンピュータの計算力」だけだったりする.
要はIT運用能力が計量経済学者の要.Perlも覚えたほうがよさそうだな.
昨日紹介した,Google Trends.
Googleでどれくらい検索されているか≒世間の注目度
という考えに基づいて,Bushの次の大統領候補二人を調べてみた.
Bushの次の大統領になる可能性が高いといわれる二人,それがHillary ClintonとBarack Obama.Google Trendsで調べてみた結果はこんな感じ.
2004年7月ころ,Obamaのヒット数が異常に高くなっている.Google Trendsは賢く,このときどんなイベント,ニュースがあったかもコメントしてくれている.それによれば,
Remarks by Senate candidate Barack Obama to the Democratic National Convention
とある.民主党全国委員会でObamaが演説を行ったらしい.たった一度の演説で,これほどまで異常なGoogle検索数に結びつけるObamaの演説を聴いてみたくなった.Youtubeにあるじゃーん.
全部で20分ほど.まずは前半部分.
次に後半部分.
これは・・・この演説はあまりに素晴らしすぎる.素晴らしすぎて,危険だ.後編の3分39秒(残り4分26秒くらい)からの盛り上がり方がヤバイ.言葉だけでこれだけ人々の気持ちを高揚させることが出来る政治家,日本にいるかな?
Google Trendsの結果を見れば,基本的にHillary Clintonが優勢だが,こういう演説などのイベントで異常に人々の心をつかんでしまうObamaに対して,Hillary Clintonは絶対に気が抜けないというのがよくわかった.
Google Trendsというサービス.あるキーワードの,これまでの検索ヒット数を時系列でグラフを描いてくれるサービス.
ためしに「堀江貴文」で検索してみた.
検索結果のグラフに,少しコメントを加えたものがこれ.
如実に世間の関心の推移が分かる.
ちなみに,複数キーワードを比較することも出来る.例えば,「堀江貴文,社長日記」と検索すると,こうなる.「社長日記」は堀江貴文氏が逮捕される前にやっていたblogの名前.「堀江貴文」と比べて,高い相関が見て取れる.
Google Trendsを使って,カンタンな分析が出来そうだ.Google,すごいね.
博士号の授与率が,文系は低すぎる,という記事.
対象となった学生1万8516人のうち取得者は7912人で、平均取得率は42.7%。分野別では、最も高かったのが医学・歯学などを含む保健の56.3%で、農学53.3%、工学52.8%、理学46.3%が続いた。
これに対し、人文科学が7.1%、社会科学は15.2%と文系の両分野がワースト1、2位を占め、理系の3分の1以下の水準だった。
文系の博士号、難しすぎ? 理系の3分の1以下@asahi.com
この現状は,どうなんでしょう.良いのでしょうか,悪いのでしょうか.経済学の場合,「国内は博士号くれないんで,アメリカでPhDとってくるわ」で片付くが,他の分野,たとえば日本文学(あるいは経済学といっても,たとえば日本経済史を専攻していれば),そうはいかないので,これはなかなか不幸だ.
文科省は05年9月の中央教育審議会(文科相の諮問機関)の答申を受け、大学院教育について学問研究とともに人材育成面にも力点を置く方針を打ち出し、その一環で修業年限内の学位授与を促している。同省の担当者は、文系の現状について「ちょっと低すぎる」とし、「どの程度の授与率が適当か、各大学院で考えてほしい」と話している。
文系の博士号、難しすぎ? 理系の3分の1以下@asahi.com
博士号授与率が低くて何が悪い,というのが国内大学の言い分だと思う.文系の場合,「博士号は20代の若造にあたえるものではなくって,年配の大家に与えさせていただくものなんだ」という考え方が強い.そういう伝統なんだから,しょうがない.
いままではあまり問題はなかったはずなのに,なぜ今さら「文系で授与率が低い」ことが問題になっているのだろう?言い換えると,なぜ最近では博士号を若い段階で取得しておかないとまずい時代になったのだろう?
参考リンク
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/05090501.htm
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/05061401/all.pdf
株価などの金融資産価格の変動を説明するとき,経済学者はある種の情報を考える.ある情報があったとする.この情報を使って,株で大儲けすることが可能だとしよう.そんな情報はあるだろうか?もしそんな情報があるとすれば,その情報を使って,とっくに他の誰かが大儲けしているはずである.しかし現実に誰もまだこの情報をつかって大儲けしていないということは,この情報を使って株で大儲けできないことを示しているのだ,と経済学者は考える.
この経済学者の考え方を巡って,有名なジョークがある.
道端に1万円札が落ちていた.ある学生がそれを拾おうとすると,経済学の教授は言った.『やめたまえ,もしそれが本物ならば,とっくに誰かが拾っているはずだ.それは偽者だよ』.
経済学者の考え方が正しいとすれば,必死に世の中のいろいろな情報をつかってファンダメンタル分析なりテクニカル分析なりを行っている証券アナリストと呼ばれる金融機関のバックオフィスで働く頭脳を否定することになる.だから,これは金融実務家が経済学者を笑うときによく言われるジョークらしい.
現実に,そんな情報がそこらへんに落ちているのだろうか?この問題を巡って,経済学者たちは大量に論文を書いてきた.しかし結論は出ないまま,みんな飽きちゃった,という感じ.学者も人間なので,新しい面白い研究テーマが出てくると,古い研究テーマの結論は出さないまま,そちらへ飛びつくものだ.
さて,僕の考えを書くと,「そんな情報はほとんどない.でも,たまに落ちている」という感じか.どれくらいの頻度でそんな情報は落ちているのだろう?きっと,金融実務家が思うよりははるかにレアで,学者が思うよりははるかにたくさん落ちている,というのが僕の考え方.
カンタンな話だ.道端に1万円はまず間違いなく落ちていないが,1円玉,5円玉はよく落ちている.10円玉もよく見かける.50円玉はどうだろう?100円玉は?500円玉ともなると,落ちていることはほとんどない.
10円玉を拾うコスト(=株の場合,売買コスト)まで考えると,もうほっとんどそんなおいしい話は落ちていない,というのが現実だと思う.
10円玉を少し拾ったって小銭を稼ぐ程度だが,塵も積もれば山となる,ということで,大量に拾いまくって大儲けしたのがLTCMだったと僕は考えている.ここら辺のことは,過去のエントリーでも書いた.
そんな情報は落ちていないのが現実,ということになる.そういう市場のことをよく,「市場はあらゆる情報を織り込み済み」とか言う.それならば,情報量が多ければ,株価変動も多いはずだ.そして休日を挟んだほうが溜まる情報は,平日よりも多いはずだから,休日明けのほうが,株価変動は大きいのではないだろか?また,休日を挟めば,その間に得られた情報は月曜日の朝まで,株価に反映されないから,月曜の朝の最初の数秒,市場にゆがみが訪れて,儲けることが出来るのではないだろうか?休日に得たある情報があって,その情報を使えば株で儲けられるのだが,市場は開いていないから,月曜の朝をみんなが待っている.獲物を静かに狙うサバンナの猛獣のようなたくさんの投資家たちが,日曜の夜に息を潜めているのが想像できる.
現実には,月曜の朝を狙ったとしても簡単には儲けられないだろう.同じことを考えている人がたくさんいるわけだから,あっという間に株価はその「ある情報」を織り込んでしまうだろう.結局,一人当たりの儲けはたいしたことはない,という状況になってしまうだろう.利ざやは常に有限で,こういう獲物を狙う猛獣の数はたくさんいるから,一人当たりの儲けは,どうがんばってもたいしたことなくなってしまう.
さて,長々と書いたが,休日明けの株価変動は,平日に比べて,大きいのだろうか?休日が株価変動(ボラティリティ)に与える影響を研究した論文はけっこうある.あまり詳しくは知らないけど,本当にこういう研究をしたければ,ティックデータ(秒単位の株価データ)を使うべきなのだろう.日次データ「ごとき」でその特性をあらわにしてしまうほど,株式市場はヤワはないのでは,と思っている.
今年になってからの,日経平均の日次終値のグラフを描いておこう.休日のところで,折れ線グラフ途切れている.
これを目視する限り,休日明けには株価変動が大きい,とかそんなことは言え無さそうじゃない?「日次データごときで俺の分析しようなんて甘いんだよ,学者先生!」という株式市場の声が聞こえそうだ.
yyasudaさんの,ECONO斬り!!というblogを通じて,これからの経済学を担う期待の若手13名を知った(13人のリストは,こちらにも紹介されている).
彼らの仕事の多くは
「シンプルな理論(あるいは仮説)を膨大なデータと統計的な手法を用いることによって実証的に検証する」
というスタイルです。
これからは応用/実証系の学者が本格的に経済学を引っ張って行くようになるのかもしれません。
計量経済学そのものの発展,コンピュータの発展,データが整備&公表されてきている,プログラムさえ書ければなんでも出来る,というここ最近の時代の流れを考えれば,当然の方向なのかもしれないが,計量経済学を専門にしようとしている僕としては,うれしいニュース.
あと,このblogの別のエントリーで,
あと、これは自戒をこめてですが、理論系の論文を書く際にもなるべく現実のデータをみましょう!自分の思い込みの「現実」を説明するための理論をいくら一生懸命考えたところで、その「事実」が実証的に間違っていたら誰も読んでくれません(笑)
と書いてあって,うれしくってたまらなかった.「理論なき計測」は絶対にダメだけど,「計測なき理論」はOK,みたいな変な風潮がうちの大学にあることを感じていたので,「計測なき理論」だってダメだよ,みたいなことを言ってくれているこの文章を読んでうれしかった.
でも実は僕は,「理論なき計測」も,「計測なき理論」も,どちらも良いと思っているんだけど.「理論なき計測」は,ひたすら観察事実を蓄積しまくるので理論家が理論を思いつくインプリケーションになるだろうと思う.一方,現実のデータを変に意識して,思考が縛られた状態で理論があまり量産されないよりは,「計測なき理論」で,自由な思考で理論を量産して,結果的にどれか一つくらい,実証に耐えられる理論が出現してくれればいいんじゃないかな,とか思っている.
国内にいる僕としては,こうやってアメリカのトップスクールでPhDをやってる人の日常をネットで無料でみられるというのは,非常にありがたい(本当にありがたい!).もっと目を世界に向けないと.経済学の世界で生きるには,日本にいると視野が狭くなってしまう.僕の場合,もう国内博士課程はもうほぼ考えていないので,留学or就職なんだけど,情報は多いほうがかえって意思決定が難しくなるな~.ほんと,留学どうしよー・・・.
非常に勉強になったし,知的に楽しかった.僕は数学者ではないので,理解できないところもあったし,誤った理解をしている部分もあるかもしれないが,本書を通じ,ここまでの人類の知的な営みが到達した偉大な業績に触れることが出来たと感じた.
目次はこんな感じ.
第1章 ギリシャの奇跡
第2章 体系とその進化
第3章 集合論の光と陰
第4章 証明の形式化
第5章 超数学の誕生
第6章 ゲーデル登場
第1,2,3章は数学の歴史.第4,5,6章は超数学の平易な解説.特に美味なのは第6章で,ゲーデルが証明してしまった「不完全性定理」についての解説が為される.
カンタンにあらすじを書く.
第1章では,「仮定を置く」という行為を行った古代ギリシャ人の偉大さについて触れる.「点の面積は0」というのは,仮定であって証明できることではない.事実かどうかは分からないが,「そうだと仮定すればいろいろ都合よくその後の議論が出来る」ということで,「正しい根拠はないが,そうだと仮定してしまえ」とやった.「なぜ?」という疑問に答えることを棚上げしてしまったと言ってもよい.続いて,仮定から導かれる定理を厳密に証明する作業を行ったユークリッドの『原論』の偉大さについて触れ,公理系の大切さに触れる.
第2章.ユークリッドの公理系の穴を埋めようと努力した偉い人たちのお話.こういう努力が公理系を進化させた.
第3章.カントルの集合論の登場.[pp.110]より引用すると,彼の登場によって,
無限にも程度があって,小さい無限,大きな無限,もっと大きな無限,等等が存在することなどが分かった.
現代人は数学の授業などで割りと当然にようにこれを習うが,当時にしてみればセンセーショナルだったらしい.当然か.当時の数学界の大ボス,クロネッカーはカントルの集合論を攻撃したらしいが,次世代のスーパースター,ヒルベルトに評価され,受け継がれたらしい.
第4章.集合論の登場によって,数学には危険があるのでは?という議論が活発になり(例えばカントルのパラドックス,ラッセルのパラドックスなどが引き金となった),数学のさらに厳密な基礎付けをやろうという動きが出てくる.そんな動きの中,証明の形式化が進んだようだ.証明の形式化とは,「意味」と「数学」を切断する,というイメージに僕は感じた(追放ではなく,切断!).大雑把に言えば,証明をコンピュータにも出来るようにすること.コンピュータにも出来るということは,一切の主観が排除された,信頼できる結果だろう,ということだと思う.
第5章.超数学の登場.超数学とは,「数学の数学」という感じ.数理哲学とは別物らしい(ここら辺から,何を言っているのか難しくなってくる).要は,「数学って論理的で厳密で客観的だと信じられてきたけど,それ,本当?」ということを,数学を使って証明しよう,ということらしい.そして,「おう,数学って安全だぜ」ということを言いたい.それがゴールだと思われていた.
第6章.ところが,ゲーデルが,「数学って安全ではないかもしれない」ということを数学的に証明してしまった.それが有名なゲーデルの不完全性定理で,次のようなもの([pp.246]より引用).
自然数論を含む述語論理の体系Zは,もし無矛盾ならば,形式的に不完全である.
「形式的に不完全」とはどういうことかを説明する.ある数学の文章Pがあったとしよう.Pは,例えば「2は偶数である」とか,「3の2乗は9である」とか,なんでも良い.このPは真が偽かのどちらかで,通常,真偽は判定できる.どんなPを持ってきても,真偽を判定できる体系を,「形式的に完全」と言う.すなわち,「形式的に不完全」とは,「真か偽か判定できない文章が紛れ込んでいる」体系ということである.
これでは困る.自然数論において扱う自然数の性質について述べた文章Pがあったとき,それが真か偽かを判定できないとうことは,この体系は,自然数の性質について完全に捉えることができていない.だから,この定理を「ゲーデルの不完全性定理」と呼ぶ.
「ゲーデルの不完全性定理によって,人間の知性のある一つの限界が,人間の知性によって証明されてしまったのだ!」という驚くべき結果に向かって,古代ギリシャから脈々と受け継がれてきた人類の英知の挑戦,ロマン,ドラマ,数学の歴史が紐解かれている本書は,本当に知的に興奮した.
本書は,小飼弾さんのブログ,404 Blog Not Found経由で知った.小飼弾さんは,このblogなどを見るにやたらインテリという印象を持つが,その小飼弾さんが
もしかして、今まで読んだ数学書の中で最高傑作かも知れない。
と言うだけあった.
内閣府が15日発表した昨年10―12月期の国内総生産(GDP)の速報値は物価変動の影響を除いた実質ベースで前期比1.2%増、年率換算で4.8%増となった。7―9月期に大きく落ち込んだ個人消費が2期ぶりにプラスに転じたほか、設備投資が引き続き堅調に伸び、内需主導の成長に戻った。プラス成長は8・四半期連続。低成長にとどまった7―9月期の反動ともいえるが、日本経済は総じて息の長い景気拡大を続けているといえる。
実質GDP年率4.8%成長、10―12月期@NIKKEI NET
明るいニュースに対して,株式市場は素直に反応した.
前日の米ダウ工業株30種平均が過去最高値を更新するなど米株式相場の上昇に加え、取引開始前に発表された2006年10―12月期の実質国内総生産(GDP)速報値が年率4.8%増と市場予想を上回り、国内景気の拡大を好感した買いが入った。
日経平均5日続伸、終値144円高の1万7897円@NIKKEI NET
実質GDPが成長しているなんて話になると,当然,日銀の利上げ観測&政府によるけん制の動きも出てくる.うっとおしいので,政治のことはとりあえず考えないことにする.
このニュースのポイントは,「予測が外れた点」だと思う.
実質GDPが成長した,というのももちろん,市場にプラスの影響を持つ.その数字が,年換算で4.8%という高い水準にある,という事実も,市場にプラスの影響を与えたと思う.しかし一番のポイントは,「4.8%という数字が,事前の予測を上回った点」にあると思う.
もし4.8%が事前の予測されていたら,今日株価はこれほど上がらなかっただろう.4.8%という予測が立てられた時点から,じわじわと株価が上昇してきて,今日4.8%という数字が発表され,「お,やっぱり4.8%だよ」程度の反応しか市場は示さなかっただろう.
現実に,人間は経済予測を立ててもぜんぜん外れる.この事実に対して,経済学者が大好きな合理的期待という概念は,どう対峙すべきなのだろう,と思った.
自分の持つファイナンス理論の知識を参照しつつ,現実の株価指数や為替レートを観察していると,考えさせられることが多い.具体的にどんなことをいま感じているか,メモ.
(1)それが正確な解説かどうかはさておき,「現実株価の動きの尤もらしい解説」を思いつくこと自体はかなりカンタン.要は真理の追究というよりは,いかに他人を説得できるロジックを構築するか,ということなので,極端に言えば,「複数の尤もらしい解説」を作れる.
(2)正確さを求めると,経済学やファイナスなどの知識をベースに,「どの解説が,現実株価の動きの何%を説明しているか?」を,データを用いて計量的に分析しなければならない.合計が100%に近くなるまで,要因をリストアップしなければならない.
(3)よって,さまざまな経済記事にある株価の動きの解説記事を読んで「これって本当か?」とか「本当だとしたら,株価変動の何%を説明しているのか?」ということを考えることが,自分の経済学の見識,経済センスを強化する.(株価変動の要因を全てリストアップすることは不可能な点に注意.例えば二つ,考えられる要因があったとしよう.要因①は70%くらい,要因②は25%くらいの要因となっている,とかいうことを知りたい,ということ.)
ドイツで開催されていたG7.G7とは世界主要七カ国の財務大臣とか中央銀行総裁とかが集まって,世界経済の現状と問題点を確認して対策について議論し,声明を発表する場所で,市場に対して影響力がある.だって,世界のえらい人たちが一同にあつまって,みんなそろって「最近の円安は問題だ」とかいう声明を出したら,投資家としては,「そうか,これからえらい人たちは円高になるように努力していくのかな」とか考えるので,マーケットに影響を与える.(ちなみに,Krugmanはこの本で,G7が共同して世界経済の問題に取り組んだってたかが知れている,とか言っていた.)
円キャリー取引に懸念の声【エッセン=小野田徹史】先進7か国財務相・中央銀行総裁会議(G7)は、声明で、日本経済の回復が「市場参加者のリスク評価に織り込まれていくと確信する」と明記した。その後のG7関係者の発言から、声明が指摘した「リスク」とは、円安の要因になっている「円キャリー取引」の拡大を強く意識したものであることが浮き彫りになってきた。
G7終了後、国際通貨基金(IMF)のロドリゴ・ラト専務理事は記者団に対し、「投資家は円キャリー取引から生まれる利益だけでなくリスクにも気づくべきだ」と発言した。ドイツのペール・シュタインブリュック財務相も、G7後の議長国記者会見で、円を名指しこそしなかったものの、「キャリー取引の問題を含め、市場はリスクを認識してほしい」と強調した。
G7関係者が相次いで言及した「円キャリー取引」は、低金利の円で調達した資金を金利が高い外国通貨と交換して資産運用するもので、円を他国通貨と交換する際、大きな円売り圧力が働く。この取引が拡大している背景には、日本の超低金利政策があり、独財務相らの指摘は、日本の金融政策に疑問符を突きつけたものとも言える。
日本銀行は20、21日に金融政策決定会合を開き、追加利上げの是非について「詰めた議論を行う」(福井俊彦総裁)方針だ。超低金利政策に対するG7諸国の見方を金融政策の運営にどう反映させるか、日銀は重い課題を背負った。
で,現状は円安なんだけど,もしここで「円安って問題だよ」とG7が宣言したら,株安になると考えられていたが,実際にはG7は「円安って議論すべきだけど,大問題ではないよ」程度にとどまったので,株安にはならず,むしろ株高になる一因となった.それで,僕は日経平均は下落すると予想したが,見事に外れたわけだ(ここ参照).
ここら辺の説明は,以下が分かりやすいかな.
ただ、独エッセンで9―10日に開いた7カ国(G7)財務相・中央銀行総裁会議が共同声明で円安に直接言及せず、円安是正を材料とした日銀の追加利上げ観測が後退したことが下値不安を和らげている。
東証寄り付き・反落後に一時上げる G7円安言及せずが下支え@日経新聞
ここで,利上げ観測があれば,株安になる,という経路もある点に注意.なぜならば,消費者は(消費も含めた)ポートフォーリオの中身を組み換えて,債券保有率を高めるから,とかいうのがよく言われる理由.
為替レートと株式市場(と金利)の関係について,自分の頭を整理したい.よく為替レートと株式市場の関係について新聞記事などで読むことがあるが,両者の関係について,自分の頭が混乱している.以下の社説にあるように,金利についても考えなければならない.
G7会議では、最近のユーロ高で輸出競争力の低下に苦しむ欧州勢が、特に円安に懸念を表明した。米欧に比べ低い日本の金利で円を借りて金利の高い他国の金融資産などに投資する円借り(円キャリー)取引も、円安を助長していると問題視する声も出た。尾身幸次財務相も会議後の記者会見で「一方的に偏って行動することのリスクを認識することが望ましい」と述べ、円安の背景にある投機的な取引をけん制した。
社説1 市場の潜在リスクに警鐘鳴らしたG7(2/12)@日経新聞
円キャリー取引とかいう言葉が出てきていて,話に為替レート,株式市場だけでなく金利も登場している.
つまり,論理はこんな感じ.
日本は低金利
→国内投資家は円キャリー取引
→円安
→日本株高
という現状で,G7で「円安なんとかしろ」となったら,なんとかするために日銀がさっさと金利引き上げをするなどして円高に向かわせることで,株安が来るのでは,という発想.(くどいが,利上げ観測そのものも株安を誘発する.)
ここまで暗黙の了解として,円安→株高,円高→株安という論理を使っている.実際,2005年から2006年までの2年間,為替レートと日経平均の月次(月中平均)をとってグラフを描けば,こんな感じになる.
まぁ,確かに円安→株高,円高→株安が成立しているっぽいね.ここ2年ほど,確かに日本円は円安の方向に向かっていることも確認できる(上図).だけど,1971年からのデータをグラフに描いてみると,為替市場と株式市場にそんな関連性があるとは思えない(下図).
というわけで,為替レートと株式市場の関係について,どういう関係にあるか,実ははっきりしたことが僕は分からない.おそらく実証的に知るしかないような気がする.誰か,ここらへんの関係を明快に説明できる人いませんか?(為替市場と株式市場だと,為替のほうが売買規模が圧倒的に大きい,とか,貿易を通じた企業業績への影響,などなど,いろいろな要因があって,計量的に知るしかない気がするんですが・・・直感的には,企業は為替リスクを近年になってヘッジする経営努力をするようになってきているので,二つ目の要因・経路は,近年,相対的に小さくなっている気がする)
話は変わるが,
こうした資金は円相場と新興市場国の二つのリスクを知らず知らずのうちにとっている可能性がある。日本国内の超低金利、円安が永続するわけではないし、新興市場国の成長が一本調子で続くとは限らない。
社説1 市場の潜在リスクに警鐘鳴らしたG7(2/12)@日経新聞
僕は,円キャリー取引をするような人間ならば,二つのリスクがあることをちゃんと理解していると思うのだが・・・素人は円キャリー取引にうかつに手を出すな,というメッセージなのかな?
長々とエントリーを書いてきたが,
(1)ここ2年ほどの円安の原因を知りたい(内外金利差だけじゃないんでしょ?)
(2)為替市場と株式市場の関連性を知りたい
(3)G7が市場へ与える影響の大きさを知りたい(去年のG7は,世界同時株安と関連していたのか?)
(4)いったいいつ利上げするんだ日銀
(5)バーナンキはどれくらい利上げする気なんだ(インフレとどう戦うんだ)
という感じの疑問を,自分の脳から抽出して,おやすみなさい.
連休中に,今日の日経平均株価指数の終値の予想をした(ここ参照).
予想:17388.77円
現実:17621.45円
・・・というわけで,ぜんぜん外れました.株価は下落するという予想だったが,逆に上昇した.しかも,
東京株式市場は、3営業日続伸。日経平均は終値で昨年来高値(2006年4月7日終値1万7563円37銭)を更新。日経平均終値は、前営業日比117円12銭高の1万7621円45銭となり、2000年5月10日(終値1万7701円47銭)以来、約6年9カ月ぶりの高値水準となった。
東京株式市場・大引け=3日続伸、日経平均終値は約6年9カ月ぶり高水準
,朝日新聞
とあるように,2000/5/10以来の高値水準となった.
予想が外れたといったが,他のモデルを使えばあたっていたかもしれない,という考え方もあるだろう(例えば,ARMAモデルではなく,ARCH型モデルなどをなぜ使わなかったんだ,とか).しかし,他のモデルを使ったとしても,たぶんあたらなかったんじゃないかな,と思う.
また,使ったデータが多すぎる,という意見もあるかもしれない.直近の1年分くらい使えば十分で,35年以上もの膨大なデータを使わないほうがいい,という人もいるかもしれない.しかし,僕はこれについても懐疑的だ.
経済学や時系列分析の知識をどんなに駆使しても,明日の株価予測なんて出来ない,と僕は思っている.そうすると,経済学に対する失望が聞こえてきそうだが,逆だ.どういうことかというと,「株価にはあらゆる情報が織り込まれているからこそ予測は不可能なのであって,それだけ市場は万能・効率的なのだ」と学者はむしろ考える.「もし株価予想が可能だとすれば,誰かがその儲けるチャンスでちゃっかり儲けているはずで,そんなチャンスが転がっているはずがない」という考え方だ.これは,「経済主体は効用最大化・利潤最大化するはず」という経済学者の前提に基づいている.つまり,人はみな合理的だという経済学者の頭を支配している概念と整合的なので,むしろ経済学者は「株価は予想不可能」という考え方を歓迎するのだ.
「どんなモデルを使ったとしても,常に予想を当て続けることなど出来ず,市場を打ち負かすことなどできない」という学説があって,これを市場効率仮説と呼ぶ.
今回の予測では,日経平均の予測をするのに,過去の日経平均データのパターンを統計的に抽出する方法をとった.このように,過去の株価を見るだけでは将来予測が出来ない場合,弱度の市場効率仮説が成立しているという.
また株価に影響を与えうるあらゆる経済変数(例えば,金利,企業の業績発表情報,景気指標,などなど)をつかってモデルをつくっても,予想は不可能な場合,準強度の市場効率仮説が成立しているといいう.
さらに,強度の市場効率仮説は,インサイダー取引のように,特別な情報に基づいても株でもうけられない,と主張する.
経済学者は,弱度の市場効率仮説はほぼ現実に妥当していると考えているが,強度の市場効率仮説までもが現実に成立しているとは考えていない.準強度の市場効率仮説の妥当性については,「意見の一致が得られていない」という感じだと思う.
市場効率仮説みたいな学説は,経済学者の「市場への絶対なる信頼」がベースにある.この仮説にまつわる実証分析は1990年頃まで膨大に行われたが,結局,テクニカルな問題もあって,決着がつかないまま,「学者はこのテーマにみんな飽きてしまった」という印象を持つ.
遊びでやってみよう.あくまで遊びなので,僕の分析を信じるかどうかは自己責任でお願いします.
予想するには,いろいろな方法があるが,ここでは時系列分析の手法を用いる.時系列分析とは,日経平均株価の過去の時系列データを見て,一種のパターンを見出し,このパターンに基づいて未来を予測する分析方法.
使うデータは,日経平均株価,日次の終値データ.サンプル期間は,1972/1/4~2007/2/9.データ数(サンプルサイズ)は 9299個.尚,データの出所は2006/3月までは日経NEEDS,2006/4月以降の最新データは,ここより取得した.
まず,基本的な情報.
これが,ここ35年ほど,一昨日までの日経平均株価の推移.

で,これが,収益率データに変換したデータの推移.

青色は,ここで示された期間の中で一番大きな上昇率を示した1990/10/2を示している.この日,日経平均株価は約13%の伸び率を記録した.日次で13%の上昇は,驚異的だ.面白いのは,これを記録したのが株価が1989/12/29にバブル最高値の38,915.87円を記録した後である点だ.図を見れば分かるとおり,青色で示されたところでは,既に株価が坂道を転げ落ちている最中である.坂道を転げ落ちる最中の1990/10/2に,どいういう訳か約13%という歴史的な伸び率を記録しているのである.
反対に,赤色は,ここで示された期間の中で一番大きな下落率を示した日を示している.アメリカでブラックマンデーと呼ばれた1987/10/19の翌日の1987/10/20で,たった一日で約15%も日経平均株価は下落した.
もう一つ,図を観察すれば気づくことがある.それは,1992,3年頃を境に,株価収益率の変動幅が大きくなっていることだ.株価そのものの変動性ではなく,収益率でみているので,株価の水準そのものは影響されないから,1992,3年頃以降,日本の株式市場は確かに変動性が大きくなっている=リスクが大きくなっている(=リターンも大きくなっているっぽい)ということまで分かる.
以上,余談.次,本題.つまり,週明けの2007/02/13(火)の日経平均株価を予想してみよう.時系列分析では,学術的な理由あって,収益率データを使うことが多い.ここでも収益率データを使った.
分析結果を先に示すと,来週火曜の日経平均株価の予想は,17388.77円.どうやってこの数字にたどり着いたか知りたい人は,続きを読んでください(激しく専門的なので,経済学の院生とかでないとまったく理解できないと思います).
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和訳版もあるらしい.(本の題名の邦訳が意味不明.)
Paul Krugmanは超一流経済学者(歴史に名前を残す可能性のあるレベル)で,彼の著書を読むのは僕は3冊目.(1冊目はこれ,2冊目は,これ.)2冊目は本当に砕けた文体だったが,それに比べるとちゃんとした文体.
割と平易に書かれている.といっても,マクロ入門レベルの知識はあったほうが,気持ちよく理解できる.しかし,中級以上のマクロ経済学の知識は必要ない.数学なんて一切しらなくっても理解できる.逆に,これだけの基礎知識だけで気持ちよく現実経済についてモノを書けるKrugmanの才能はすごい.
経済学では何が分かっていて,何は分かっていないのかの線引きが明確になっていて,気持ちいい.知ったかは一切ない.自分が分からないことは分からないと述べている.それは,自分が分かっていることについての自信の表れでもある.知ったかぶりのインテリの俗説は,実名を出して一刀両断.
本の最後で,今後のアメリカ経済がどうなるかというシナリオを3つ書いている.3つのシナリオはこういうものですよ,と書いた上で,以下のように書かれている.([pp.204])
Finally, there is a fourth scenario that I do not include. This is the scenario in which the voters and the politicians take a realistic view of the situation, and decide to act responsibly and decisively now rather than wait until action becomes unavoidable. It is easy to describe the economics of this scenario, but it seems so unlikely that it is hardly worth discussing.
人は合理的なんかじゃないってことを,Krugman流の皮肉っぽい文章で表現していて,おもしろいと思った.
留学についてここ数週間,かなり調べてみた.大体どんな感じか,把握した.一言で言うと,いばらの道.
アメリカのPhDを取得していなくっても優秀な研究者はもちろんいる.しかし一般に,経済学者を目指すなら,アメリカの大学院でPhD in Economics (経済学博士号)を最短でとることを考えるべきだと思う.なぜアメリカかと言えば,経済学研究の場合,圧倒的にアメリカが強いから.
PhD留学をするならば,ハードルがたくさんある.そこそこ高いハードルが大量にある,という感じだろうか.
当然まず英語.TOEFL250以上ない人は,お話にならない.といっても,英語力はいくらあっても足りない.250あっても,日本人に生まれた時点で,語学で苦しむことは間違いない.ここであきらめる人も多いだろう.簡単に言うが,現実にはそんなに簡単に250を超えられる人はいない.僕も250を超えたのは,学部4年だった.
次,推薦状3枚.なるべく自分のことをよく知っている人で,なるべく研究業績の高い人,というのが目安.教授はウソは書かないので,客観的に自分を評価してくる.つまり,自分が優秀であることが前提となる.さらに教授へのアピール・コミュニケーションが大事になる.
三つ目はGRE.アメリカ版センター試験みたいなもの.他の準備,勉強と併行して対策しないといけないので,大変.
四つ目はGPA.つまり,日本の大学や大学院での成績(特に数学の成績を重視するそうだ)のこと.Aを4点,Bを3点,Cを2点として,単位で加重平均したスコアで,3.5欲しいところらしい.僕は学部1,2年でサボったので,学部GPAは3.3しかない(それでも,3年になってから留学を意識し,3,4年でよく取り戻したと思う).大学院での成績は,春は全部Aだったし,たぶん秋もA以外はないと思う.だからたぶん,成績がボトルネックで留学が出来ないということはないと思う.当然,applyしてくる人はみんな成績優秀だろうから,僕の場合,どこかで学部GPA3.3という汚点を取り戻すアピールがないといけない.その意味で,いまやっている論文をなんとか今年中にPublishしたい.
五つ目はStatement of Purpose.エッセイ,研究計画書みたいなもの.
奨学金に応募しまくる,というのもけっこう心労.PhDをやる人は,ほとんど奨学金をとっているみたいだ.学費免除+生活費支給,というのも,優秀ならば夢ではない.せっかく合格してもカネがなくってあきらめることにはなりたくない.
以上と併行して,アメリカで落ちこぼれないように,渡米前になるべく学力を蓄積しないといけない.笑い事じゃなく,アメリカは競争社会でおちこぼれた人は,容赦なくクビをきる.その情け容赦の無さがアメリカの強さの源なのだろう.さらに,トップスクールを狙うならば,研究も一生懸命やって,研究者としての素質を見せることも考えるべきかもしれない.そういうことを考えたら,いま書いてる論文は,なんとか今年中にどこかにPublishしたい.
なんとか留学出来たとしよう.すると,初っ端にコースワーク(ミクロ,マクロ,計量)を死ぬほどやらされる.1年目の最後にテストがある.このテストは,翌年にもチャレンジ資格があるらしい.つまり,二回のチャレンジで突破しないといけないらしい.突破できないとクビになる.その際,かわいそうなので残念賞にMaster(修士号)をお土産にあげる.このページによれば,Boston Universityでは1回目のチャレンジでは,1/3がミクロとマクロの両方のテストに落っこちているようだ.最初の1年は,英語の問題もあるし,異国の地で勉強ばかりさせられ,かなりの精神的負担のようだ.
2,3年目は,フィールドワーク.指導教授を選択し,そのもとで研究助手,TAなどをやり,自分自身の研究を開始する.研究を開始すると簡単に言うが,研究とは「他の誰も到達していない新領域に,自分がはじめて足を踏み入れる行為」なので,かなりつらい.柔軟性が必要.頑固な学生はここでつまづく.
4,5年目は,研究を成就させる.論文を形にして,PhD論文を提出.アメリカの大学への就職を希望するなら,5年目は就職活動.
・・・このように,精神的コスト,金銭的コスト,時間的コスト,という三重コストを支払って,得られる対価はPhD,研究者としてやりたいことが出来る楽しい人生,ということになる.
さぁ,合理的判断は,どちらだ.留学か,就職か.ああ~・・・.どちらを選択するかで,今後の人生が大きく変わる.どっちを選んでも,見る視点によっては大差ないのかもしれないが.しかし,個人的には英語も出来るし経済学もよく学んできたし,自分の計量センスは突出していると思っているし,留学するならば,機は熟していると思う.学部卒ですぐPhDに突っ込んでもクビになったと思うし,もう少し年齢を重ねてからPhDに行ったら,柔軟性の無い学生になってやっぱり失敗する気がする.
というわけで,やるなら今しかないんだが,果たして最適な意思決定はどうなんだろう・・・ああ~・・・.
インフレのコストとはなんだろうか?なぜ,物価が高くなるのって問題なんだろう?
人はみな,「インフレは悪」という漠然としたイメージを持っている.確かに,今日100円で買ったジュースが来年200円になったら,嫌な気がする.しかしインフレは一般物価水準の上昇なので,ジュースが2倍になっていたのなら,あなたの給料も2倍になっているはずで,実害は無い.
それならば,インフレって一体何が問題なんだろう?
「そもそも,なんでインフレって問題なんだっけ?」という根本的な問いを考えてみると,この問いに対して,経済学者の間では満場一致の答えがある(経済学の世界で,「満場一致」の答えが得られる問いは少ない!).けっこう知られていないようなので,啓蒙がてら,書いてみよう.
よく言われる(そして大して現実には問題ではない)理由は二つある.
一つはインフレは「靴底コスト」を発生させるから,というものである.「靴底コスト」とは,人々が銀行にいく頻度が上がるために「靴底が磨り減ってしまう」というコストである.なぜ銀行によく行くようになるかというと,インフレになると人々はみな自分のお金を銀行に多く預けるようになるからである.なぜそうなるかを理解するためには,極端なケースを考えればよい.例えばインフレ率が100%の世界を考えよう.つまり,来年の物価水準が2倍になるような世界である.この世界で,例えば100万円を手元においておいたとしよう.そして今この100万円でトヨタのカローラが購入可能としよう.すなわち,今,カローラは100万円で売られているとする.来年には,物価が2倍になるのだから,カローラは200万円になる.だから,手元の100万円は,来年には実質的な価値が半分になってしまう.インフレのとき,手元の現金はどんどん価値が目減りしていくので,みんなより多くを銀行に預けるようにするのだ.銀行に預けておけば,金利がつく.この金利は,インフレ率よりは高い水準にあるから,インフレになっても実質的価値が目減りすることはない.
もう一つの理由は(そして,これも現実にはNo Problemな理由),「メニューコスト」なんて呼ばれる.これは,インフレで物価が上がると,それにあわせてレストランのメニューの価格表示を変えるために,メニューを刷新しなくてはならないコストを意味する.
しかしこの二つは,理由としてはちゃっちい.インフレにはもっと根本的な問題がある.その根本的な問題は,「異時点間の経済主体の意思決定を歪め,経済的効率性を損なう」という点である.さらに,「予期できないインフレのみが悪」ということになる.
以下で,これを説明してみよう.例えば,お金をあなたが銀行から借りたとしよう.期間は長期としよう.このとき,当然,契約書にはある利子率が明記されている.この利子率は,今後何年間かのインフレ率に基づいて決定されるが,今後何年間かのインフレ率は,いまの時点では分からない.そこで,「たぶんこれくらいの率で物価は上がるだろう」と予想し,この予想に基づいた利子率が明記されることになる.この予想のことを,経済学者は「合理的期待」と呼ぶ.
具体的な例を挙げれば,簡単だ.例えば,2007年現在,ある人が住宅ローンを30年で組んだとしよう.30年満期の住宅ローン金利は,どうやら今の相場を見れば,大体3%くらいのようだ.この背後には,今後30年間の平均インフレ率があまり高くないだろう,という予想に基づいている.例えば,その数字が1%だと考えているとしよう.すると,物価が1%あがって,金利が3%なのだから,その差,2%分が銀行の利益となる,と予想しているのだろう.そして,この2%だけが,この人が銀行に支払うのに実質的負担しなければならない金利なので,これを実質利子率と呼ぶ.
ある人と銀行は,「たぶん今後30年でインフレは平均1%だろうから,2%の実質金利でお金をの賃貸契約を結びましょう」ということに合意して,契約を結ぶことなる.
ところが,実際に例えば今後30年間でインフレが平均3%もあったとしよう.すると,当然,この人の給料も年間3%あがるので,この人は実質的には銀行に対してまったく利子を払っていないことになる.払うべき金利は3%だが,自分の給料も3%あがるのだから,実質的な負担はゼロになる.もちろん,このある人はすごく嬉しいが,銀行からすれば,「実質的には無料でお金を貸したことになる」という事態なわけである.これは,人々の間の富の再配分を強制し,富の配分を歪めるので,経済学的によろしくない,ということになる.これが,「インフレのコストってなぁに?」という問いに対する答えである.
銀行はこういう金利設定をよく考えた上で行っているから,実際,ここまで極端なことは実現しないだろう.インフレのコストを説明するために,あえて極端な例を考えた.当然,この逆のケースもありえて,「借りる側が損をする」可能性もある.
ここで,「予想したインフレが的中した場合」,何の問題も無い.問題は,「予想を外した」ため生じる.だから,「予想できないインフレ」のみが問題なのである.
以上の説明は,経済理論に即した場合の,正解である.当然,現実の世の中で採られる経済・金融政策は総合的に考えるべきである.インフレのコストを正しく理解したら,次は,「インフレをなんとかする政策ってあるの?あるとしたら,その政策を実行するコストって,どれくらいなの?」ということを考えなければならない.問題があったとき,その問題を放置するコストがいくら高いと言っても,問題を解決するコストのほうが高ければ「放置すべし」が合理的な解になり,経済学者にはこういうクールヘッド(Cool Head)が求められる.これについては,また長くなるので,別のエントリーで.



