『99・9%は仮説 思いこみで判断しないための考え方』の読書感想
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これは立ち読みで30分くらい。僕は買う価値はないと思います。
内容は、科学・哲学をネタにして日常生活の送り方・心構えについて説いているという印象。「飛行機が飛ぶ理由は本当は科学的に解明されてないんだよ」とか言って、「科学ってけっこうテキトーなんだぜ」とか書いてる。あるいは、「地動説が現代の常識だけど、ガリレオの時代は天動説が常識だったんだよ」とか「ダービンの進化論が今の常識だけど、むかしは中世キリスト圏では神様がアダムとイブを創造(以下略)」とか言って、「常識なんて時代とともにコロコロ変わるものなんだよ」、とか書かれている。で、「常識・科学的仮説・科学は絶対だという思い込み、などにとらわれず、何を信じるかよく自分の頭で考えましょう」みたいなことが本のメッセージになっている。
なぜ本のメッセージをソコに置くのかわからん。著者は知識人という感じなので、同じようなネタをつかってもっと別の、この著者にしか発せないメッセージに強調を置けたはず。そこが悔やまれる。最終的なメッセージがあまりに普通過ぎちゃって、興ざめなり。
この本が気になった理由は、「99・9%は仮説」という表現にある。僕はあたりまえじゃんか、と思った。経済学の場合、マクロ経済学なりミクロ経済学なりの理論があって、でも理論はそのままでは理論的仮説でしかない。正しい理論かどうかを、計量経済学という方法論を用いて検証しなければならない。その際、「はい、この理論は100%正しいです」という結論が得られることなんて100%ない。計量経済学では統計学の手法を使っているので、「この理論は、95%以上の確率で正しいです」っていうことしか分からない(世論調査の信頼度は95%以上です、みたいなことがたまに調査結果のそばに小さく書かれていたりするけど、それと同じこと)。だから、経済学で「これは正しい」と広く学界で考えられている理論も、せいぜい99.9%くらいの確率でしか正しくない。
だから、「99・9%は仮説」という表現に関心を持った。悲観的になれば、「経済学で得られる結論なんて、計量分析をやった上で得られたものですら、仮説でしかない」といわれているような気がした。計量経済学者が導くのは常に「99.9%の真理」でしかないと考えると悲しい(計量・統計で、残りの0.01%は純粋なサンプリングエラーということになっている)。
もうひとつ、「飛行機はなぜ飛ぶか」について。なぜ飛ぶかはまだちゃんと実は解明されていないそうだ。飛行機が飛ぶという現実を説明できる理論はない。だけど、経験的にこうすれば飛ぶことが分かっている、という経験則がある。現実に飛ぶから問題ないじゃない、という立場もあって、楽観的といえば楽観的。でも、100万回飛んだからといって101万回目に飛ぶとは限らないから問題ある、と考える人たちは理論を考えることを決定的に大事だと考えている。
「それが真理かどうかは置いておいて、この理論は現実をよく説明しているっぽいし、将来予測をする際、ごく近い将来についてはかなりの精度であたるんだから、問題ないじゃない」という非常に楽観的なベイジアンを批判するのってかなり難しいなぁ、と思った。
以下は、面白かった個々のトピックについてメモ。
・インテリジェント・デザイン説(知的設計者)
ダービンの進化論に異を唱える説で、宇宙のどこかにいるなんらかの知的存在が、人間を創造したのだ、という知的生命体誕生を説明するひとつの仮説。詳しくはウィキをば。
・世界誕生数秒前仮説
実は世界はつい数秒前の誕生したばかりなのに、あなたの頭の中には精密な偽記憶が埋め込まれているので、「私はもう長い間生きていて、地球は何十億年も続いている」とあなたは思っているのだ、という仮説。
あほらしく聞こえるかもしれないけど、この仮説を否定、できる?こことかを参照。
以上二つの仮説を読んで、昔読んだ『ソフィーの世界』とか、映画『マトリックス』とかを思い出した。
・意識は続いている仮説
人は寝ているときは意識がなくって、起きているときは意識が連続的に続いている、って考えるかもしれないけど、実は起きているときも意識は途切れ途切れだ、という仮説。たとえば以下の図を見るとき、意識的に同じ図形だと見ようと努力しても、3~5秒くらいで別の見え方に意識が変化してしまう。

すっごくがんばって同じ様に見ようとしても、かならず別の見方に変化してしまって、意識を同一に保てない。
・起源について考えるのが難しい
宇宙・生命などについての出発点・起源がどうなっているかについては分からない。分からないが、とにかく何らかの起源があって、そこから現在までの経過を説明することしか科学は出来ない。起源については言及しないからこそ、そこの宗教の出番が現在でもあるのかもしれない。
・科学とは
科学の定義を僕は今までずっと、「理論が正しいかどうかを再現可能な方法で検証し、理論を修正し、いつか検証を通過する理論に辿り着くこと」と考えていたし、今もその考えは変わらない。だけど、この本で紹介されていた、ポパーの反証可能性は記憶にとどめたいと思った。ウィキからの引用をすれば、
反証主義によれば、科学理論は反証可能性を持ちつつ未だ反証されていない仮説の総体であると定義される。
とある。なるほど、面白い定義。だけど、反証可能性という意味で言えば、計量経済学・統計学は100%の反証というのではなく、常に99.9%以上の確率での反証不可能性をもって、ある経済理論が科学的理論といえるかどうかを判定している点に注意。結局、100%の絶対の真理なんて見つからない仕組みになっているんだろうかしら?とか、なんだか学問に対して悲観的になってきた。
(追記)
科学は、常に紛れの含んだ推論を行う。しかし大事なのは、その紛れの度合いを適正に制御・把握することだと僕は思う。
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