面白かった。プロパガンダとか広告とか宣伝とか洗脳とか説得とか、そういった感じ。読む価値あるよ。特に今みたいに情報過多の時代では。で、著者たちが本書を執筆した目的は、プロパガンダとか広告とか、そういう各種「説得」から人々が自分の身を守れるようにするため、だって。著者たちは有名な心理学者らしく、心理学に興味あるんだったら、是非この本を。
で、目次をアマゾンから引用してみる。
第1章 日常生活のなかの説得
第2章 説得のお膳立て―効果的な説得を行うために
第3章 伝達者の信憑性―本物とまがい物
第4章 メッセージ―それはどのように伝達されるのか
第5章 感情にアピールする説得
第6章 説得の戦略を打ち破るために
第7章 情報戦略が失敗するとき―プロパガンダと社会
話題は非常に多岐にわたる。ざっとあげてみるとこんな感じ:カルト的な宗教、政治家の選挙活動、テレビをはじめとする各種メディア、ダイレクトメール、ヒトラー、セールスマンの営業トーク、などなど。日常は説得するかされるかという場面で溢れていて、情報はそこら中を溢れている。
さて、例によって印象に残った点をいくつかメモ。
他のすべての条件が等しければ、たいていの人は、多量の統計データよりも、一つの鮮明で身近な事例の影響を強く受けるものなのである。(p151)人間なんてそんなもんだと思う。
人びとの心を揺さぶる鮮明なテレビの訴求力が、小説のような単なる感動的な物語りに取って代わられることはないだろう。(p155)「小説」を「ネット」に置き換えてみると面白い。
歌やその他の娯楽は、受けてが反論を間が出すことを妨害するという点で大きな影響を与えるらしい。(p163)要は気を逸らしたいということ。
信頼できる送り手の場合には、送り手が唱道する意見と受け手の意見の間の食い違いが大きいほど、受け手が説得される程度は大きい。一方、送り手の信頼性が疑わしい場合には、食い違いが中程度のときに最大の意見変化が生じる。(p172)この本では様々な心理学の実験結果が紹介されている、そのどれもが超面白いのだが、これはその中でも一番面白い結果だと思う。
かつてBBC会長が述べたように、テレビニュースは一種の娯楽番組なのである。(p263)
ニュースという番組名がついた、バラエティ番組ってことか。ってか、そんなことをBBC会長が言ったことがあるなんてびっくり。
ヒトラーは、『我が闘争』で次のように書いている。これを読んで、小泉さんを連想したのは、僕だけじゃないと思う。宣伝効果のほとんどは、人びとの感情に訴えかけるべきであり、いわゆる知性に対して訴えかける部分は最小にしなければならない。われわれは大衆に対して、過度な知的要求をしてはならない。大衆の受容性は非常に限られており、彼らの知性は低い。しかし、忘れる能力は非常に大きい。これらの事実に基づき、宣伝を効果的にするには、要点を絞り、大衆の最後の一人がスローガンの意味するところを理解できるまで、そのスローガンを繰り返し続けることが必要である。(p292)
いやー、かなり面白かったよ。非常的に「説得」的な本だった。完全にこの本読んで、「説得は危険」と見事に「説得」されてしまったよ。
(追記)
ちなみに、本書は
http://dain.cocolog-nifty.com/myblog/2008/09/post-ea15.html
経由で知った。リンク先のブログは、僕が読む本を選ぶときにたまに参考にしているブログで、けっこう良いブログだと思う。
『ビジョナリー・カンパニー ― 時代を超える生存の原則』の続編。感想は、前作と同じく「わくわくして楽しい気持ちになった」というところか。両方ともいい本っす、お薦めできます。
で、内容。まず原著のタイトルに触れる必要がある。前作は、"Build to Last"つまり「永続するように作られた企業」について語っていた。そういう卓越した企業(BTL企業)と、普通レベルの優良企業に違いは何か?というのが、前作のテーマだった。ところが、「"Build to Last"を読んでも、どうやったら良い企業からBTL企業にできるか分からない」という批判を受けたらしい。その批判を受けたのが本書。だから、今回、原作タイトルは、"Good to Great"ということで、普通レベルの優良企業(Good company)が、どうやったら結果偉大な企業(great company)になったのか、ということがテーマで、11社が分析対象になっている。
で、二つの本の関係だが、結果的に、"Build to Last"の方こそ"Good to Great"の続編のようなものだと著者は言っている。"Build to Last"で紹介した企業は、創業者が"Good to Great"の方法をとっていたのである。"Build to Last"で紹介した企業は、その上で、greatnessを維持できているという意味で卓越した企業だったのである。そして、いかにしてこれを維持しているかを分析しているのが、"Build to Last"の分析内容だった、と後になって振り返ると分かった、ということ。そして、"Good to Great"の方法も、"Build to Last"の方法も、かなり重なる部分がある、ということが分かった、と。
で、本書の分析の結果わかったことをメモ。
1.第五水準のリーダーシップ:
"Good to Great"企業では、カリスマCEOを社外から招いたりはしない。"Good to Great"企業のトップは謙虚で、派手な生活はしない。しかし確固たる意思を持っている。
2.最初に人を選び、その後に目標を選ぶ:
「まずは目標があって、その目標に共鳴する人を選ぶ」のではない。「まずは適切な人を選び、その後に目標を設定する」のである。「適切な人」とは、"Build to Last"でいうところの「基本理念(ビジョン)」が共有できている人のことだと思う。
3.厳しい現実を直視する:
現実、真実、統計データを客観的にちゃんと見る。厳しい現実も直視する。その上で、勝利の確信を失わない。根拠なき自信は持たない。
4.針鼠の概念:
次の三つの円の交わる部分に固執する。「世界一になれる分野はどこか?」「情熱を燃やせる分野はどこか?」「その分野は儲かるか?」
5.規律の文化:
三つの円の交わる部分にとどまれるような規律を持つ。
6.促進剤としての技術:
新しい技術にとびついたりしない。振り回されない。三つの円の交わるところと関係なければ、どんなに世間が騒ぐ新技術もスルー。
7.弾み車と悪循環
"Good to Great"企業では、「このときが転換点だった」という時期は特に無い。重たい大きい車輪があって、それを人手で推し進める場面を創造しよう。ゆっくりと回転して加速度的にスピードがあがっていく車輪。この車輪、どの点で「急に勢いづいた」のだろうか。そんな問い自体が無意味で、車輪を押し続けたことが重要。はたからみたら「ある時」を境に急にスピードが上がったかもしれない。「あの時、どんなマジックを使ったんだ」と聞くのはナンセンスということ。
・・・という感じ。特に、「三つの円」の考え方は気に入った。
あと、「どうしてgreatを目指さないといけないのだろう」という質問が出るとしたら、たぶん、あたなはその仕事を十分好きではないのだろう、というのもするどい指摘。本当に情熱を燃やしているものの場合、そんな質問すらでない。大好きなサッカーをやってる子供が、ワールドカップで優勝したい、と素朴に思うのと同じことで、本当に好きな仕事をやっている場合は、どうしてもgreatになりたい、と感じるものだと思う。
とりあえず、分析の方法とか細かいところは、突っ込みだしたらきっとキリがないと思うんだけど(詳細は書いてないからわからんが、なんらかの統計分析をしているはずだし)、とにかく前作と同じく「わくわくして楽しい気持ちになった。」
http://www.stat.go.jp/data/cpi/sokuhou/tsuki/pdf/zenkoku.pdf
三拍子そろって下落。しばらく続きそう。あれ、この国はデフレターゲティングでもしてるんだっけ。ちょっと大丈夫そうになったらすぐ利上げ、ですぐデフレ懸念再燃であわてて利下げ、で、ちょっと大丈夫そうになったらすぐ利上げ、という無限ループ。それが良いとか悪いとかって議論は頭のいい学者さんやcentral bankerさんたちに任せて、僕はこの政策が続くという前提にして行動するだけなんだが、なんというかまぁ、住宅金利を固定にしていないのは本当にナイス判断だよな、って。
リフレをめぐる議論に巻き込まれたくないんだが、言えるのは、たぶん、日銀はしばらくはスタンスを変えそうにはないってこと。なので、これから住宅ローン組む人は、変動金利にしたほうがいいんじゃない、って。金利が5%とかみたいな水準になんか、なりっこないから。常に時期尚早で利上げする中央銀行の国で、そんな金利になるはずがない。
しっかし、マスコミも財務省などのことは批判しまくるくせに(ちょっと異常なほどに批判していると思うんだが)、なぜ日銀はまったく批判を受けないのだろう(ちょっと異常なほどに日銀の言ってることを鵜呑みにしていると感じる)。金融政策というクソ重要な政策を担当しているのに、批判的な報道がほとんど出来ないなんて、悲しい。
日本ではリフレ派を無知扱いしている人たちがいるが、そういう人の中にも実は学問的業績が非常に乏しい(ほぼゼロ?)の人もいたりする。ってことを巷の人は知らないから、え、あの有名な○○先生が言っているんだから、という感じになっていたりする。リフレ派にも学問的業績ゼロの人だっているから、どっちもどっちだけど。
で、だからこそマスコミとしても誰を信じたらいいかわからない、みたいな。自分で勉強して判断するしかないね・・・といっても、「最低DSGEくらいは理解してね」とマスコミの人に言っても、まず理解できないのが普通だし。経済学部出てない人だってたくさんいるし。それを「マスコミは勉強不足」というのはかわいそうな気がする。「学生時代ちゃんと勉強しないから」と言おうにも、昔は大学のマクロ経済学ってIS-LMとか、そんなんしかやっていなかったらしいし。
なんの話だっけ。あぁそうだ、物価が下がっているって話だ。企業物価指数も順調に下がっております。
http://www.boj.or.jp/type/stat/boj_stat/cgpi/cgpi0905.pdf
5.4%下落だって。すごい。経済、これからどうなるんだろう。心配だ。
三拍子そろって下落。しばらく続きそう。あれ、この国はデフレターゲティングでもしてるんだっけ。ちょっと大丈夫そうになったらすぐ利上げ、ですぐデフレ懸念再燃であわてて利下げ、で、ちょっと大丈夫そうになったらすぐ利上げ、という無限ループ。それが良いとか悪いとかって議論は頭のいい学者さんやcentral bankerさんたちに任せて、僕はこの政策が続くという前提にして行動するだけなんだが、なんというかまぁ、住宅金利を固定にしていないのは本当にナイス判断だよな、って。
リフレをめぐる議論に巻き込まれたくないんだが、言えるのは、たぶん、日銀はしばらくはスタンスを変えそうにはないってこと。なので、これから住宅ローン組む人は、変動金利にしたほうがいいんじゃない、って。金利が5%とかみたいな水準になんか、なりっこないから。常に時期尚早で利上げする中央銀行の国で、そんな金利になるはずがない。
しっかし、マスコミも財務省などのことは批判しまくるくせに(ちょっと異常なほどに批判していると思うんだが)、なぜ日銀はまったく批判を受けないのだろう(ちょっと異常なほどに日銀の言ってることを鵜呑みにしていると感じる)。金融政策というクソ重要な政策を担当しているのに、批判的な報道がほとんど出来ないなんて、悲しい。
日本ではリフレ派を無知扱いしている人たちがいるが、そういう人の中にも実は学問的業績が非常に乏しい(ほぼゼロ?)の人もいたりする。ってことを巷の人は知らないから、え、あの有名な○○先生が言っているんだから、という感じになっていたりする。リフレ派にも学問的業績ゼロの人だっているから、どっちもどっちだけど。
で、だからこそマスコミとしても誰を信じたらいいかわからない、みたいな。自分で勉強して判断するしかないね・・・といっても、「最低DSGEくらいは理解してね」とマスコミの人に言っても、まず理解できないのが普通だし。経済学部出てない人だってたくさんいるし。それを「マスコミは勉強不足」というのはかわいそうな気がする。「学生時代ちゃんと勉強しないから」と言おうにも、昔は大学のマクロ経済学ってIS-LMとか、そんなんしかやっていなかったらしいし。
なんの話だっけ。あぁそうだ、物価が下がっているって話だ。企業物価指数も順調に下がっております。
http://www.boj.or.jp/type/stat/boj_stat/cgpi/cgpi0905.pdf
5.4%下落だって。すごい。経済、これからどうなるんだろう。心配だ。
2008.5.21(wed)
マルセイユ→ニースへ移動。両方とも地中海沿いでだが、雰囲気はぜんぜん違う。ニースはビーチって感じ。マルセイユは漁師の港って感じ。海が青くで綺麗すぎたので、海沿いを散歩。上半身裸の女性がちらほら。しかも普通に若い女性。上半身を綺麗に焼いている?のかな?特にヌーディストビーチというわけではないはずだが。みんなそれに慣れているみたい。
2008.5.22(thu)
ニースから日帰りで行ける範囲を、動き回る。とりあえず、モナコ。ニースから電車で30分くらいだったっけ。到着したらすぐ、暴走族みたいな音がブォンブォン。おお、さすがモナコ、F1カーが街中を走り回っている。何のグランプリだろう?車、いままでまったく興味がなかったけど、モナコのレーシングカーはかっこいいと思った。遠巻きにレーシングカーを見ていると、チケットあまってるから買わない?って声かけられる。ダフ屋ではないらしい。本当にあまってて困ってしまっているらしい。結局買わず、遠くから眺めつつブォンブォンって音を楽しむ。


その後、カンヌへ。ちょうど、カンヌ映画祭期間中らしく、レッドカーペットが見れた。特に有名人は誰もいなかったけど。なんか、お祭騒ぎで、心躍る雰囲気。こんなん見れるとは思っていなかったわ。テキトーに地球上を東に向かって一周する、ってだけの割といい加減なノリで始めたんだけど。

南仏、気候もいいしけっこう気に入る。南仏のプロバンス地方は、セミの泣き声を楽しむ風習があるらしい。虫の音を楽しむ風習があるなんて、日本以外にもあるなんて。けっこう、これって日本独自の繊細な文化だと思っていたので、驚く。
ニースで泊まったところ、広いアパートのワンルームを使わせてもらう感じの、個人経営のところだったんだが、名前を思い出せない。すっげいいところで、安かったし、人も良かったし、楽しかったんで、ニース行くならまたそこ泊まりたいんだが・・・思い出せない。どこでその場所を見つけたのかすら思い出せない。。。
マルセイユ→ニースへ移動。両方とも地中海沿いでだが、雰囲気はぜんぜん違う。ニースはビーチって感じ。マルセイユは漁師の港って感じ。海が青くで綺麗すぎたので、海沿いを散歩。上半身裸の女性がちらほら。しかも普通に若い女性。上半身を綺麗に焼いている?のかな?特にヌーディストビーチというわけではないはずだが。みんなそれに慣れているみたい。
2008.5.22(thu)
ニースから日帰りで行ける範囲を、動き回る。とりあえず、モナコ。ニースから電車で30分くらいだったっけ。到着したらすぐ、暴走族みたいな音がブォンブォン。おお、さすがモナコ、F1カーが街中を走り回っている。何のグランプリだろう?車、いままでまったく興味がなかったけど、モナコのレーシングカーはかっこいいと思った。遠巻きにレーシングカーを見ていると、チケットあまってるから買わない?って声かけられる。ダフ屋ではないらしい。本当にあまってて困ってしまっているらしい。結局買わず、遠くから眺めつつブォンブォンって音を楽しむ。
その後、カンヌへ。ちょうど、カンヌ映画祭期間中らしく、レッドカーペットが見れた。特に有名人は誰もいなかったけど。なんか、お祭騒ぎで、心躍る雰囲気。こんなん見れるとは思っていなかったわ。テキトーに地球上を東に向かって一周する、ってだけの割といい加減なノリで始めたんだけど。
南仏、気候もいいしけっこう気に入る。南仏のプロバンス地方は、セミの泣き声を楽しむ風習があるらしい。虫の音を楽しむ風習があるなんて、日本以外にもあるなんて。けっこう、これって日本独自の繊細な文化だと思っていたので、驚く。
ニースで泊まったところ、広いアパートのワンルームを使わせてもらう感じの、個人経営のところだったんだが、名前を思い出せない。すっげいいところで、安かったし、人も良かったし、楽しかったんで、ニース行くならまたそこ泊まりたいんだが・・・思い出せない。どこでその場所を見つけたのかすら思い出せない。。。
製造業のことを少し体系だって知ろうという目的で読んでみた。アマゾンレビューが良い本書を選んでみた。いい勉強になった、読んで良かった。
本書はものづくりの業界について、かなり広く網羅している。鉄の作り方とかも書いてある。それについてはこれの方が詳しいけけど。鉄鋼なしに経済は成り立たないし、鉄鋼のことはある程度よく知っておいたほうがいいかな、って感じる。例えば、以下みたいなニュースにアンテナが向くようになるので。
鉄鉱石価格3~4割下げ 需要落ち込みで@産経
新日鉄、車用鋼材価格引き下げへ トヨタと
2010年度の鉄鉱石価格は10%上昇へ=ゴールドマン
ほかにも、PLMとかMRPとかSCMとかABCとか、こういういろいろな概念も説明されていた。一応、そういうのも知っておいて損はないかな、と。
日本の製造業は、いま根本的に商売の構造を変えないといけない時期にいると思うし、学生の間でも製造業って不人気になっているけど、だからといって衰退産業だと僕には思えない。
「脳の研究により勉強しなくても知識が得られる」「再生医療が一般化する」「遺伝子技術により食料問題が解決する」「太陽光発電で脱化石燃料が実現」「陸上交通も脱化石燃料で」「母国語どうしでの会話が通じるようになる」「人間とロボットの共生」「宇宙基地や宇宙旅行」「人工生命」など夢に満ちています。
100年後、伝統的製造業を中国等に譲った日本の製造業は、こんな新分野を切り拓いているかもしれません。(p187)
クルーグマンの本。梅田のジュンク堂でふと目にとまったので、パラパラ読んでみた。ちゃんと読んだわけじゃない。
日銀に対しては、相変わらず厳しい。利上げのタイミングは早すぎた、しかも、2000年にも一度失敗しているのに、再びこの前失敗した、というようなことが書かれていた。また、「10年後、いまより物価が60%高くなっていることを日銀が約束すれば、かなりの問題は解決される」みたいなことが書かれていた。クルーグマンはインタゲ支持にしか読めなかったんだけど、私の読解力が低いのかな?きっとそうに違いない、うんうん。
クルーグマンってノーベル賞もとったし超頭いいと思うけど、専門は国際貿易。金融政策とか財政政策とかは専門ではない。だから、マクロ政策をめぐってクルーグマンがこういったああいった、って振り回されるのは時間の無駄だと感じる。それでも僕もこの本を手にとってしまうんだから、やっぱり影響力は大きいわけだが。
ドラッカーの本、今まで一冊も読んだことがなかった。で、ドラッカー本ってたくさんあってどれ読んでいいか分からなかったので、とりあえず、一番薄いこの本から始めてみることにした。
これがいい本だったら他のドラッカー本にも手をつけようかと思っていたんだが・・・あんまり良くなかった。どうしよう・・・。たまたまこれが良くなかっただけかな。きっとそうだよな。ドラッカーって超有名だもんな。「このドラッカー本はいい」というお薦めがあったら、誰か是非。
経営学の本、いままでかなりたくさん読んだけど、「まじでこれはいい」って思ったのは、ほとんどない。(『ビジョナリー・カンパニー』は数少ない例外。)結局、いつの時代にもどの国のどの企業でも当てはまる普遍の法則なんて、ないと思う。文化、宗教、言語みたいな基礎条件だけでなく、政策、経済水準、政治状態などなど、いろいろな条件が異なるのに、そんな普遍法則があるなんて、ちょっと信じられない。アメリカでうまくいったマネジメント方法が、日本でうまくいくんだろうか。vice verca。
「ハーバード・ビジネススクール(HBS)は,経営は科学ではないという立場をとる学校である」らしいが、その通りだと思うし、経営学は、まぁみんなが勉強しているから話題についていくために僕も勉強するけれど、内心、何の役にも立たないんじゃないか、ってかなり疑っているんですけど。。。
(追記)
「これをやったらうまくいく」という事が書かれている経営学の本より、「これやったら失敗したよ」ということが書かれた実際の経営者の本のほうが、勉強になる。気がする。
今年読んだ本の中で一番衝撃的かもしれない。この本読んで、自分のいまの英語力のままだと、ヤバイかな、ってまじで背筋がゾっとした。バイリンガルに限りなく近づいていかないと、猛烈なハンディを背負うことになる、って実感した。アマゾンの紹介。
豊かな国民文学を生み出してきた日本語が、「英語の世紀」の中で「亡びる」とはどういうことか? 日本語をめぐる認識の根底を深く揺り動かす書き下ろし問題作!
日本語が<国語>になった、絶対に欠くことができない歴史的条件として、著者は「明治維新のとき植民地にならずに済んだ」ことを挙げている。
それは、日本が西洋列強の植民地にならずに済んだということにほかならない。(p175)
もし、日本がアメリカの植民地になっていたとしたら、そのとき日本の言葉の運命はどうなっていたであろうか。
日本は、植民地に典型的な二重言語状態に陥っていたはずである。(p178)
この条件が満たされていなければ、夏目漱石も芥川龍之介も川端康成も日本語という<国語>では書かなかっただろう、と。これは、イギリスに植民地化されたインドでは英語、フランスに植民地化されたヴェトナムではフランス語が強く残っているetcの例を考えればわかること。しかも、日本語で書いてノーベル文学賞までとってしまうほど、日本語で書かれた日本文学は成熟したわけで。
その日本語が亡びようとしているって。
日本における<大学>とは、大きな翻訳機関=翻訳者養成所として、日本語を<国語>という、その言葉で<学問>ができる言葉に仕立て上げていった場所である。(p211)
その日本の学者たちが、今、英語でそのまま書くようになりうつある。自然科学は言うまでもなく、人文科学でも、意味のある研究をしている研究者ほど、少しずつそうなりつつある。そして、英語で書くことによって、西洋の学問の紹介者という役割から、世界の学問の場に参加する研究者へと初めて変身を遂げつつある――世界の<読まれるべき言葉>の連鎖に入ろうとしつつある。
ここで重要なのは、自然科学の世界では、研究する=英語で書く、というのがかなり昔から当然のことだった、という点。それが、人文科学の世界でも、変わりつつある、というのを、著者は嘆いているわけ。(本題からずれるけど、いまみたいな英語の時代に、英語で書かれた論文に対して、日本語で批判する、というのは、学者として最低だと思う。日本語で学問する人は、「西洋の学問の紹介者」でしかないのだから、自分の意見をいう権利なんか無いと僕は思う。英語で書かないと、誰も読まないんだから。)
こういう時代の流れというのは、良し悪しは別にして、止めることは出来ない。世界一周ハネムーン中にフランスの番組で、「フランス語は今後どうなるか、いまの時代は英語で話さないといかに取り残されるか」という特集をやっていて、出ていたフランスの有名人どうしが、すべて英語で話していたのを思い出す。
そんな時代に、日本はどうするべきでしょう?
日本が必要としているのは、「外国人に道を訊かれて英語で答えられる」人材などではない。
日本が必要としているのは、専門家相手の英語の読み書きでこと足りる、学者でさえもない。
日本が必要としているのは、世界に向かって、一人の日本人として、英語で意味のある発言ができる人材である。(p276)
このビジョンはすごい共感する。こういう人材を育成するために、国家として何をするべきでしょう?
学校教育で、英語を読む能力の最初のとっかかりを与える。その先は英語は選択科目にする。(中略)英語をもっと学びたいという強い動機をもった人は、学校の外で自主的に学べばよいのである。(p289)
この案もすごい共感する。podcast、ハリウッド映画などなど、既にその気になったら低コストでもかなりの英語力をつけることができる環境があるから。それで、日本人は日本語とどう向き合ったらいいのでしょう?
強い動機をもたない人でも、大衆消費社会であるがゆえに、「もっと英語を」という脅迫観念にかられざるをえない時代に入っているのである。この考え方もすごい共感する。その通りだと思う。誰か国の偉い人がこういう方針を示さないまま、いまの状態でノラリクラリと英語の進入を許すとどうなるんでしょう?
だからこそ、日本の学校教育のなかの必修科目としての英語は、「ここまで」という線をはっきり打ち立てる。それは、より根源的には、すべての日本人がバイリンガルになる必要などさらさらないという前提――すなわち、先ほども言ったように、日本人は何よりもまず日本語ができるようになるべきであるという前提を、はっきりと打ち立てるということである。(289-290)
日本人がもつ日本語に対しての自信のなさは、その経済力が西洋と肩を並べた今も、変わらない。(中略)そもそも政府からして、翻訳後を考え出すこともせず、西洋語のカタカナ表記を公文書に使って平気である。
恥ずべきコンプライアンス(=屈従)。(p293)
いい加減、イングリッシュのボキャブラリーをそのままカタカナ表記してジャパニーズボキャブラリー扱いするハビットはなくしませんか、って僕は感じてるんだけど。しかもジャパニーズプロナウンシエーションベースでカタカナ表記するから、カタカナを読めるネイティブスピーカーが読んでもアンアンダスダンダブルや!本人はかっこいいと思ってやってるのかもしれないけど、ルー大柴と大差ないぜ。この流れが続くってことは、まじでみんなルー大柴みたくなっていくってことだと思う。それでいいならいいけど。俺は嫌だよ。
(追記)
この本は、「今世紀最重要の一冊」というdankogai氏の書評を見て買ったんだけど、あれから半年以上たってしまった・・・。反省。最近、ウィイレとラジコンとテニスとガーデニングなどなど、読書タイムを減らす娯楽タイムが増えている気がする・・・。
今日発見した、有用そうなwebservice。
http://www.seotools.jp/ (SEO診断)
http://shares.ne.jp/ (上場企業の財務・決算分析を見える化)
http://www.ullet.com/index.html (企業価値検索サービス)
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http://www.ullet.com/index.html (企業価値検索サービス)
某ジャーナルに投稿しているC-CAPMの論文、なかなか結果が返ってきません。
よく考えたら、Economics Lettersに投稿したときも、"with editor"というstatusが7ヶ月くらい続いてイライラした記憶がある。やっとstatusが"under review"となったと思ったら、5ヶ月待たされたし。。。ということを考えたら、気長に待つしかないわけですが。
この、現実経済にキャッチアップするのが絶対に不可能な感じのノンビリしたアカデミックな雰囲気は懐かしかったりもする。
(参考)
アカデミックな世界のスピード感の無さは異常
よく考えたら、Economics Lettersに投稿したときも、"with editor"というstatusが7ヶ月くらい続いてイライラした記憶がある。やっとstatusが"under review"となったと思ったら、5ヶ月待たされたし。。。ということを考えたら、気長に待つしかないわけですが。
この、現実経済にキャッチアップするのが絶対に不可能な感じのノンビリしたアカデミックな雰囲気は懐かしかったりもする。
(参考)
アカデミックな世界のスピード感の無さは異常
